都市はみずから成長する

セックス・アンド・ザ・シティ』はそのタイトルがいいといつも思う。

「セックス」と「ザ・シティ」を並べて、人間とニューヨークを同じように扱っている。

このドラマの第5の登場人物はニューヨークだといわれる。ほかの4人と同じように、ニューヨークが人格や意思をもつ人間のようにふるまう。それはただの場所ではない。

「ニューヨークはタフな街だ」というとき、ニューヨークでの生活がタフだという意味ではない。ニューヨークという都市そのものがタフなのだ。

「都市は生き物のようだ」と私たちはいう。それは喩えではない。

1.

都市は社会的なネットワークだ。

社会的なつながりが豊かな都市ほど、経済的なパフォーマンスが高い傾向にあるらしいことがわかってきた。

subwaymap1インターネットだけがつながりではない。

都市内では、地下鉄などの大量輸送機関や住居のしくみが社会的なつながりをつくりだす。

大量輸送機関がなく、人種や所得による棲み分けが進み、犯罪率が高いなど、つながりと混合の度合いが低い都市は、経済的なパフォーマンスも低くなる傾向にある。

最近の研究によると、都市のサイズ (人口) が大きくなると、そこに住む人と人のつながり、そしてコミュニケーション量が加速度的に高まることが示唆されている。

サイズが大きくなるほど、都市はより生産的になり、より多くの富を生み出すという「スケール則」は、どうやら「つながりの力」と関係しているようだ。

2.

これがどのように都市の形態を規定するのかについて、サンタフェ研究所のルイス・ベッテンコート議論にそってみてみよう。

 人口が増加すると、土地の価格は所得よりも早く上昇する。たとえば、人口が倍になると、土地の価格は平均で50%上昇する。

この所得と土地の価格上昇差を補おうとして、人口が増加すると、都市は高層化へとむかう。床面積あたりの価格上昇をおさえるためだ。

ひとつの国のなかでみると、大きな都市ほどその密度は高くなる。ニューヨークは米国で最も密度が高く、高層の都市だ。

マンハッタンを中心に、近年さらなる高層化がすすんでいる。

ニューヨーク市の人口が増えていることを考えれば不思議ではない。高層化は人口増のスピードを上回る早さで進むだろう。

同様に、所得と土地の価格上昇差を補うために、部屋はせまくなっていく。

ニューヨークのアパートやホテルの部屋のせまさは誰もが知っている。

最近ではさらに小さな超小型の「マイクロ・アパート」が、高騰する家賃への対応策として試験的に導入されている。

人口が増加すると、土地が高くなり駐車が割高になるため、大量輸送機関が魅力的な選択肢になる。

高層化する都市にこそ大量輸送機関は必要になる。

160万人が住むマンハッタンの小さな島で、全員が自動車を運転したらどうなるか想像してみるといい。大都市で大量輸送機関が発達していることには理由がある。

2013年の夏に、ニューヨークでバイク・シェアが導入された。環境指向や自転車のトレンド化が指摘されるが、高密度化するニューヨークが求めたともいえる。

都市の密度が人口増よりも早いペースで進むことで、1人あたりの冷暖房コストが低くなり、1人あたりのエネルギー消費量と二酸化炭素の排出量が減る。

土地を徹底利用することによって、生産性と密度が高い都市こそが、意図せずしてグリーンになる。大量輸送機関を多く利用することもこれに貢献する。

ニューヨークのような都市が緑あふれる郊外よりも持続可能なのはこのためだ。

☞ 人口が増加すると、土地の価格は所得よりも早く上昇し、高密度化は人口増よりも早いペースで進む。

高騰する家賃についていけない住民がより遠く、よりせまい部屋に移ることを余儀なくされる「ジェントリフィケーション」をニューヨークで毎日のように耳にする。

土地の価格が所得よりも早く上昇し、人口増より早いペースで高密度化が進むとすれば、より高価で広い部屋と、より狭い部屋へと二極化するのは当然にもみえる。

ジェントリフィケーションがスケール則という「都市の論理」から派生する自然のなりゆきだとしたらどうだろう。

3.

人口が増えると、都市は高密度化し、大量輸送機関が発達する。都市はつながりを求めて成長する。

もっとも、すべての都市が同じパターンに従うわけではない。「つながりのコスト」を考えながら、都市はその形態をみずから選択する。

東京を初めて訪れる外国人を案内するとき、私は都庁の展望台に連れていくことにしている。

果てしなく広がる東京 (都市圏) の規模の大きさに、彼らは間違いなく驚く。

低コストの大量輸送機関があれば、一定のつながりの度合いを維持しながら、高層化をおさえて水平に拡張することも可能だ。

デトロイトなど人口が減少する「縮退都市」は、より小さな地域に集中することで、つながりの度合いを高めようとするものだ。

人口が大きいだけで、つながりを生み出さない都市は、経済的パフォーマンスも高まらない。もっとも、つながりの度合いが低い都市は、成長のしようがないのかもしれない。

MITのセザール・イダルゴが、経済を「組み替え可能な能力の組み合わせ」として考えようとしているのは示唆的だ。

4.

都市は固有のリズムでいきづき、成長する。

私たちの体内が一定に維持されているように、都市もみずからを調整し、バランスをとるように成長する。

人口が増えたらどうすればいいのか都市は知っている。そしてみずから解決しようとする。

それが自己増強を通じて進化するシステムだとしたら、私たちが都市を生き物のように感じたとしても、少しも不思議ではない。

都市は構築物の集合でも人工物でもない。それはむしろ自然環境の一部をなすシステムと考える方がふさわしい。

5.

腕をケガして、新しい腕に交換する人はいない。生物体は何かが欠けたときに、それをみずから補う力がそなわっている。

spacephotoが痛いときには薬で症状を抑えることもできるが、体のどこかをマッサージして治ることもある。

人間の体は複雑に関係し合うシステムだ。はっきりとした因果関係の特定は難しい。

私たちにはできなくても、私たちの体はみずから調整し、解決する方法を知っている。

一方、私たちは都市を部分的にとりかえたり、手を加えて変更しようとする。

都市が人間のような生命体だとしたら、おかしな話しだ。

私たちは都市の動学に備わるつながりの力を利用して発展しているし、それによって都市はさらに成長する。都市と人は互いに適応しながら進化する。

そもそも都市は「つくる」ことができるんだろうか。「都市計画」という言葉と考え方に、私は根本的な違和感をもっている。

私たちに求められているのは、個別の症状に薬を与え続けることではなく、都市の自律的なリズムを理解したうえで、その力を最大限にひきだすことなのかもしれない。

テクノロジストのケヴィン・ケリーは『What Technology Wants』といった。同じように、私たちは「都市が求めるもの」に耳を傾けるべきじゃないかと私は思っている。