マンハッタンは持続可能な理想モデル

緑あふれる郊外と、高層ビルが競うように並び立つニューヨーク—。

サステイナブル (持続可能) なのは、どちらだろうか。

答えはもちろん、ニューヨークだ。

ニューヨーク市ほど、環境に優れた場所はない。とくにマンハッタンは、サステイナブルな街として理想的とさえ言える。

こうした見方が、識者の間で広がっている。

1.

Green Metropolis』の著者デイヴィッド・オーウェンはその1人だ。オーウェンによると:

  • ニューヨーク州のガソリン消費量は米国全州の中で最も少ない。
  • これはニューヨーク市が大きく貢献しているため。
  • マンハッタンの住民の82%は、公共交通機関、自転車、徒歩で通勤している。
  • これはロサンジェルスの10倍以上の割合。
  • ニューヨーク市は、住民1人当たりの温室効果ガス排出量が全米で最も少ない。
  • 米国平均と比べると30%も少ない。

ニューヨーク市の1人当たりのエネルギー消費量は、米国の他の都市と比べて著しく少ない。その理由は、次の3つだ。

  • 住居が小さい
  • 互いに近接した場所で、密集して生活している
  • 自動車を運転することが少ない

極端にコンパクトな街に多くの人が住んでいるニューヨーク市は、圧倒的に密度が高い。

参考までに、マンハッタンと東京の面積と人口を比較してみよう。

マンハッタン     59.5 km2          約160万人
東京23区              621km2    約900万人

東京23区の10分の1に満たないマンハッタンには、23区の人口の6分の1以上に相当する人が住んでいる。マンハッタンの人口密度は、東京23区の倍近くになる。

密度が著しく高いことによって、エネルギー効率も高まる。それがニューヨーク市をサステイナブルにしている。

2.

私はマンハッタンのダウンタウンにある、築100年を超える6階建てのアパートに住んでいる。このあたりの古い建物の多くはレンガづくりだ。私のアパートも例外ではない。

部屋の壁は、レンガが露出した状態になっている。保存状態が良いため、訪問客にも評判がいい。

しかし、隣のアパートの壁は、レンガではなく、白い壁で覆われている。

ダウンタウンの建物は、互いに寄り添うように、隣の建物とぴったり密着して建っていることが多い。

私の部屋がある方は、隣の建物と完全に密着している。隣のアパートの方は、その隣の建物との間に数メートルの隙間がある。

隣の建物との間に空間がある場合には、外の寒気がレンガを伝わって中に入ってくるため、部屋の中の壁(レンガ)を露出することはできない。防寒のため、隣のアパートの壁には、もう一層の壁が追加されているのだ。

建物は、密着することによって、エネルギー効率が高まる。

これは、「垂直」にもあてはまる。上下の階から暖気が伝わることによって、集合住宅のエネルギー消費量は少なくてすむ。

郊外の一軒家が大変なエネルギー消費を必要とするのとは対照的だ。

3.

私は自動車をもっていない。かつてもっていたマサチューセッツ州の自動車免許が失効して以来、免許さえもっていない。

免許をとり直すつもりはない。ニューヨーク市にいるかぎり、車は必要ないからだ。

ニューヨーク市では、地下鉄とバスが、24時間市内を網羅している。

地下鉄はかつてと違って安全になった。機動性が必要なこの街で、2.25ドルで、ブルックリンからブロンクスまで市内を移動することができるメリットは大きい。

1万3千台を超えるイエローキャブも走っている。価格は比較的低く設定されており (初乗り2.50ドル)、短距離でもためらうことなく、日常的に利用する交通手段だ。

ニューヨーク市内では、日常的な買い物は、徒歩圏内で間に合わすことができる。通勤の途中で買い物を済ませる人も多いだろう。

住宅地のなかに、小売店、レストランなどが混在する複合用途 (mixed use) の地域が多いため、日常的な目的のほとんどは、近所で満たすことができる。

食事や飲みに出かけるにも、地下鉄やタクシーにとびのれば、30分もあればたいていのエリアに着くことができる。

ところが郊外では、住宅地と買い物、そして外食などの機能が、地理的に分離されている。そのため、車がないと何もできない。

ニューヨーク市では、多くのアメリカ人がそうするように、スーパーに車を走らせて、何日分もの冷凍食品を買い込む必要はない。

4.

ニューヨーク市に住むようになってから、私は徒歩で通勤することが多くなった。前の会社では、同僚の半分以上が徒歩通勤だった。珍しいことではない。

スケートボードで通勤するスーツ姿の人を見かけることもあるが、より人気があるのは自転車通勤だ。

毎日ブルックリン橋やウィリアムズバーグ橋を自転車で渡り、マンハッタンへと向かう人は多い。

ニューヨークを拠点として、世界中で自転車の映画祭を実施しているバイシクル・フィルム・フェスティバルの創始者ブレント・バーバーは、私の友人だ。

バーバーは、自転車を「アーバン・カルチャー (都市の文化)」と定義する。都市であるからこそ、自転車のもつ利便性が高まることを、彼は十分に理解しているのだ。

5.

ニューヨーカーはよく歩く。そして、ニューヨーク市ほど、歩くのにふさわしい街はない。

コーヒーを手に、ウィンドーショッピングをしながら、オープン間近の新しいレストランをひやかしてみてもいい。しばらく見なかった知人にばったり出くわして、立話になることもあるだろう。

先日、私はあるプレゼンテーションをみる機会があった。自転車で通勤する人がどういうルートを選んでいるのかを調査したものだった。

調査の結果は、誰も最短のルートを選んでいないということだった。道を知らないわけではない。多少遠まわりだが、自分が心地よく感じるルートを選んでいたのだ。

言われてみれば当たり前のことだが、伝統的な経済学では、これを、あたかも誤りのように「非合理」と呼んでいる。

私はたいていのところに歩いて行く。それは環境のためではない。楽しいから歩いているのだ。

歩くことには別の利点もある。ニューヨーク市は、米国の中で、最もスリムな体型を維持している都市だ。街をいっそうひきたてる美しい女性をながめるのは、街歩きが楽しいもう1つの理由だ。

環境のために、なにか特別なことをしているわけではない。ニューヨーカーの生活スタイルをそのまま続けること。それがサステイナブルだ。その仕組みはこの街に「ビルトイン」されている。ことさら環境思想を唱える必要はない。

6.

エコと称して、街に植樹したり、屋上農園をつくったり、公園を増やす取り組みについて耳にすることがよくある。

「自然なもの」を追加することが、エコだと考えられているようだ。だが、環境の観点からすると、どれほど実効性があるのかは疑問だ。

より効果的なのは、むしろマンハッタンのように、徹底的に密度を高めることだ。

「自然」に近づけるのではなく、「マンハッタン化」を徹底することこそが、サステイナビリティを高める。

エコを求めて都市から郊外へ引越する人もいるが、そこでいうエコは、引越す本人が環境を楽しむということなのだろう。

郊外に引越すことは、エネルギー効率の悪化を招き、エネルギー消費量は大幅に増加することになる。

緑あふれる郊外での生活は「グリーン」ではない。それは、環境問題を解決するどころか、問題を深刻化するだけだ。

7.

「世界のごくわずかな面積を占める都市部が、世界中のエネルギーの大部分を消費している」。

都市が環境問題の元凶であるかのように、そう指摘されることがある。エネルギー消費が都市部に集中しているのは、そこに多くの人が住んでいるからだ。

こうした非難の背後には、都市への根深い反感がひそんでいる。

1842年に米国各地を訪問したチャールズ・ディケンズは、ニューヨークのスラムを目の当たりにして、嫌悪感をあらわにした (『アメリカ紀行』)。

しばらく後、ディケンズの祖国で、「街づくり」の概念が生まれることになったのは偶然ではない。

オーウェンによれば、都市と環境が相反するというイメージを定着させたのは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローだ。

文明の象徴の東 (欧州) に背を向けて、ソローは「森の生活」に向かった。今日、ソローは環境保護運動の先駆者ともみなされている。

サステイナビリティはすなわち「自然」であり、文明とは対立するかのようなイメージはここから来ている。それは今日でも根強い。だが、本当にサステイナブルなのは都市なのだ。

8.

オーウェンのほかにも、ハーバード大学のエドワード・グレイサーなど、ニューヨークのような高密度の都市を環境面で評価する識者が増えている。

こうした論調の背景には、より広い文脈での、都市の「再評価」があるようだ。

都心の荒廃 (urban decay)」という言葉に象徴されるように、1970年代から80年代にかけては、ニューヨーク市も、犯罪と不況で完全に破綻していた。

だが、社会問題そのものとみなされていた都市は、近年では、新たな可能性の源泉として見なされるようになってきている。

「知識経済」やサービス化が進む経済で、「生産」の中心はふたたび都市にシフトしている。多様な人が集まり、交わる場所でもある都市は、イノベーションの源泉だ。

都市は自己増強する。サンタフェ研究所のジェフリー・ウェストの研究が示すように、都市は巨大化すればするほどその生産性は増す

今や世界の人口の半分以上が都市部に住んでいる。都市化が、地滑りのようにますます加速するのはこれからだ。

他方、郊外の没落ぶりは著しい。都市部よりも圧倒的に失業率が高い状態が続いている。

9.

20世紀の米国は、都市に背を向けて、郊外へと拡散する (sprawl) 時代だった。

20世紀の開発型経済を牽引した自動車、石油、庭付きのマイホームは、郊外化と表裏一体の関係にあったことを見逃すことはできない。

今世紀の経済の中心は、自動車や住宅ではないはずだ。21世紀の最初のバブル崩壊が、住宅に起因するものであったことは興味深い。

それは、「アメリカ的生活様式」に破綻を告げたようにもみえる。どうやら多くの論者が、「21世紀は再び都市の時代だ」と言っているようなのだ。

そろそろアメリカ人をやめて、ニューヨーカーになろう。

3 responses to “マンハッタンは持続可能な理想モデル”

  1. […] ニューヨークのような都市が緑あふれる郊外よりも持続可能なのはこのためだ。 […]

  2. […] そもそもマンハッタンがいくらコンパクトだといっても、徒歩だけで移動することはできない。 […]

  3. […] ビジネスだけでなく、環境にとっても大きな利点がある。多くの人びとが集中して住むことによって、エネルギー効率が高まるからだ。都市こそがサステイナブルなのだ。 […]

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