残りの半分はどこに暮らしているか

選ばれるはずだった人がなぜ選ばれなかったのか。選ばれるはずのない人に票を投じた人たちは何を間違ってしまったのか。

大統領選挙から2週間が経過したいまも、その解釈をめぐる議論は落ち着きそうにない。選挙の結果を認めない人さえ少なくない。

多くの人が理解しつつあるのは、この国が二分されているらしいことだ。

1.

クリス・アーネイドは米国内の様々な地域に住む人たちを写真で記録している。

2010年にブロンクスのハンツ・ポイントでドラッグ中毒者たちの写真を撮り始めた。「中毒の顔 (Faces of Addiction)」としてまとめられている。

彼が住むニューヨーク州北部の捨て去られる町とそこに住む人びとについてもドキュメントしている。

2015年にはミニバンで10万マイル (16万km) を走り、米国各地を回った。

デトロイトやミルウォーキーなどの忘れ去られたネイバーフッドに住む人たちの話を聞き、全く異なる「ふたつのアメリカ」があることを知った。

2.

「ふたつのアメリカ」は大統領選挙の結果でもあきらかになった。

クリントンの票は沿岸部を中心に散在する都市の諸島に集中し (右)、トランプの票は内陸部の大半を占めた (左)。さながら「都市部とそれ以外」とでもいうありさまだ。

クリントンの票は米国の面積の15%を占めたにすぎないが、トランプは85%を占めている。だが人口比では54%がクリントン、46%がトランプだ。

州のレベルでも同様のことがいえる。たとえばイリノイ州はクリントンを支持した。

だが州の中をみると人口が多いシカゴでクリントンが票を集め、その周りをトランプ支持が取り囲んでいる。州としてはクリントンだがトランプを支持した郡の数の方が多い。

3.

知力を使って仕事をする人と体を使って働く人は、異なる世界観を生きているとアーネイドはいう。前者は都市に住み、都市内でも特定のネイバーフッドに集中する。

ニューヨークとシアトルは飛行機で6時間の距離だ。それでも社会・文化的に大きく変わりはしない。両都市の人たちは似たような格好をして、同じようなものを食べている。

一方、ニューヨーク市内から自動車で内陸にむかって1-2時間も走れば、全く異なる生活をする人たちがいる。

シアトルのエンジニアとウォール街の人はマインドセットが似ている。カンザスのウェイトレスやトラック運転手のそれよりずっと近い。住むところによってそれは違ってくる。

4.

「ふたつのアメリカ」は人種や職種で必ずしも明快に分かれるわけではないようだ。

各地でトランプ支持者の話を聞いたアーネイドは、トランプの評価が人種で分かれるネイバーフッドがあれば、人種に関係なく取り残された失望感を抱えるところもあるという。

トランプは経済が衰退している地域で票を得たといわれているが、彼に票を投じた人すべてが経済的困窮にあるわけではない。

工場の仕事を失った郡では、そこに住む医者や弁護士もトランプに票を投じる。誰を支持するのかはコミュニティに強く結びついていることをアーネイドは目にしてきた。

5.

自動車工場が衰退すると、それが規定していたネイバーフッドはアイデンティティを失い崩壊する。よりどころを失った人たちが時間を過ごすのはもっぱらマクドナルドだ。

体を動かして危険な仕事を長時間しても賃金は上がらない。テレビをつければ学のない連中だと自分たちがバカにされている。

退屈と絶望からドラッグに手を出す者や家族の分裂が増え、コミュニティが失われる。

彼らの存在を気にかける者は誰もいない。仕事とともに人としての尊厳も失った彼らの不満は今回の選挙に始まったわけではない。

トランプが選ばれると思ってはいなかったが、選挙結果に驚きはしなかったとアーネイドはいう。いつかはトランプ的な人物が現れるだろうと思っていたからだ。

6.

「もうひとつの社会」はいつも存在していた。

ジェイコブ・リースは1890年の「How The Other Half Lives」でニューヨークの劣悪な居住環境を写真とともに記録している。

大都市へと急成長する19世紀終わりのニューヨークでは極端な過密が進み、マンハッタンのダウンタウンのあちこちで居住環境が悪化した。

マルベリー通りの南端近く、通りが曲がるところにあった「ベンド」がとりわけ醜悪なスラムとして特記されている。

ベンドに隣接するチャイナタウンでは多くの移民がひしめき合い、さらにはイタリア人、その東にはジュータウン (ユダヤ人街) でも過密が進んでいた。

住むところがない者に格安の宿を提供するビジネスがでてきた。間に合わせの寝台さえなく、5セントで床に、3セントで廊下に寝る場所を与えたところもある。

リースの「残りの半分」はマンハッタンの移民だった。アーネイドが記録する今日の「残りの半分」は都市の外にあり、そこに住むのは白人を含む米国人が多い。

リースは「残りの半分はどのように暮らしているか」を写真で示した。今月の選挙は「残りの半分はどこに暮らしているか」を気づかせるものだった。

7.

リースはフォトジャーナリズムの先駆者といわれている。アーネイドは自らジャーナリストではないと断言する。

レポーターと対象の間に厳密な境界線を引くジャーナリストのなかには、アーネイドのアプローチに批判的な人たちもいる。

アーネイドにとって被写体は友人だ。毎日足を運び、共に時間を過ごして関係を築いていく。「中毒の顔」ではハンツ・ポイントに住む人たちのことを知るのに5年かかった。

対象との距離を保つのがジャーナリズムだとすれば、境界線が曖昧なアーネイドの仕事はジャーナリズムとはいえない。

アーネイド自身は明瞭な境界線は不要で、グレーな領域こそ語られるべきだと主張する。ジャーナリズムなのかどうかは重要ではない。

8.

とはいえアーネイドは境界線の向こうに踏みこんでいるわけではない。

物理学の博士号をもち、シティ・コープで20年間オプションをトレードした者が「残りの半分」に属すことはないことを彼は十分知っている。

話を聞いても理解できないかもしれない。だからこそ耳を傾ける必要があるのかもしれない。弱者を救おうという勝手な思い入れや、共感の押し売りとは縁遠い。

今回の選挙は「エコノミストに社会学を教えるゼミ」のようなものだと彼はいう。沿岸部の都市に住む彼らは、自分たちが「もう半分」の中にいるとは思っていない。

9.

選挙の数ヶ月前に、アーネイドはトランプ支持の論理をオプション取引に喩えている。

何度も大統領候補の言動に裏切られてきたどん詰まりの人たちが望むのはボラティリティだ。彼らにとって (これ以上の) 下方リスクは限定的だが、上昇余地はずっと大きい。

それがどんなやり方で起きるとしても、とにかくいまのシステムを破ることがなにより優先すべきことになる。トランプに票を投じることは理にかなっている。

一方「もう半分」はボラティリティを嫌う。イン・ザ・マネーの彼らにとって下方リスクは果てしない。いまのシステムを続けるならクリントンだ。

10.

リースのフォトジャーナリズムは市に注意を促すことに成功し、スラムは撤去された。19世紀終わりにベンドは公園になり、いまもコロンバス公園として存在する。

アーネイドが記録する「残りの半分」はどんな結果をみることになるのだろう。

アーネイドはトランプに票を投じた人たちを気の毒に思うという。彼らが期待した約束をトランプが果たすことはないだろうからだ。

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