ニューヨークを再び楽しいところに

いつものバーに立ち寄ると、新顔が数人入っていた。ニューヨークの再開に合わせて、新しくスタッフを増やしたらしい。完全再開した飲食店には営業上の制約はもうないし、店は以前よりも繁盛していて忙しい。それもあるけれど、と昔からいるバーテンダーが言うには、なにより昨年までとは違ってもう誰も朝4時まで働きたくはない、だから増員して営業時間を分担することにしたのだという。

この店で働く人たちは、音楽をしていたり、アパレルのビジネスを運営していたりと、なにかとサイドビジネスを抱えている。このバーがサイドビジネスの人もいる。店以外のことにもっと時間を充てたいということらしい。

飲食業をはじめとしてサーヴィス業では人手不足が続いている。手厚い失業保険に恵まれているわけだから働かない方が身入りが良くなる、要は怠け者になって働かなくなったのだと詰るような向きもあるけれど、オフィス・ワーカーの間でも仕事を辞める人は増えている。

一年以上自宅で仕事をしていたところにオフィスに戻るよう告げられて、いまの仕事よりもリモートでできる別の仕事を求めて辞める人は多いらしい。次の仕事に困りはしないだろうと高を括っているのだといういかにもエコノミストらしい見方もあり、たしかに今年の4月だけで米国内で4百万人が仕事を辞めている一方で、求人は過去最高水準に達している。

さらに興味深いのは、意味のない仕事を続けることに嫌気がさしたと言って辞める人の話をよく耳にするようになったことだ。ホワイト・カラーやプロフェッショナル層でよく聞くというところも注意しておきたいところではある。

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昨年の夏から、ニューヨークでは奇妙な心地よさが続いている。ウィルスのリスクと背中合わせとはいえ、どこか時間が止まったような、憑き物が落ちたような解放感がそこここに漂っている。

観光客が消えたことを指摘する人は多い。たしかにバーに行っても近所に住む馴染みの顔ばかりで、リラックスした空気に満ちている。陽を浴びて屋外の席に座るようになったせいもあるのかもしれない。以前は8百万人が住むこの市に66百万人が訪れていたわけだから、ニューヨークが初めてニューヨーカーのものになったのだという主張もよくわかる。

どんなことをしても観光客数は毎年増え続けなければならず、横ばいや減少はタブー。そのカルト的な市の観光神話は、昨年春に呆気なく座礁した。建物の一階は全て店舗として活用し、その数が増え続けるのは至上命令。それも一夜にしてオフィスと店舗から人が消え、またニューヨークを離れる人が相次いだことで、市内の多くのアパートが空くことになった。突然あちこちに余白が生まれ、隙間が現れたのだ。

よく晴れた午後に外を歩くと、人影がまばらな通りには気分よく突き放されるような風があったし、いまでも以前のような息苦しさはない。たしかにパンデミックにもありがたいことはあったのだった。貸し切りの状態でMoMAのフロアを隅から隅まで歩くことができたこと。自動車と人が消えて、鳥の声が聞こえてきたこと。長年通ったベトナムのレストランでテイクアウトの長い待ち時間に、初めてオーナーと話をする機会を得て、店のオープン当時のことや近くに住む常連客の話を聞くことができたこと。

隙間が出現したといっても、建物が取り壊されて空き地ができたわけではない。利用されていない、少なくとも想定された目的のために稼働していない、アイドル状態の場所が増えたのだ。マンハッタンの一等地を遊ばせておくのは巨大な機会損失に違いない。それにもかかわらず、あるいはだからこそ、そうした場所を放置しておくことは、これ以上ないラグジュアリーでもある。なにかが生まれるのは、そうした場所なのだ。

昨年の夏から、市内のレストランやバーは、歩道や車道の駐車レーンに飲食の席を設けて営業できるようになっている。緊急措置として導入されたプログラムのため、ルールが未だ厳格に規定されていない。その空白期のうちに、それぞれの店が歩道の利用方法を考え、単なる飲食向けの場所に収まらないレストランのありようを模索し、実践している。そうした変化に富む無数のアプローチの提示は、到底市に考えつくことはできはしない。

打ち出の小槌を追い求め、市内のあらゆる片隅を高価で奇抜なお祭り騒ぎやアトラクションで埋めることしか知らなかった昨年までの世界が、遥か遠い過去に思えてくる。音量を上げれば賑わっていると思ってしまった不幸なレストランと同じだが、音量を下げるどころか、耳障りな音楽を強制終了することができたのは不幸中の幸いだった。

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音楽は止まり、人は踊るのをやめた。昨年3月にすべてが一時停止すると、市が生産するナラティヴの呪縛は解けた。シンクロすることを放棄した市内のあちこちに綻びが口を開けて、目の前にある場所をありとあらゆる方法で人が利用しようとし始めた。

歩道に生徒を集めて裁縫のクラスを教える人が出てきたし、閉鎖したモールで学校の授業が行われた。都市に不可欠なインフォーマルな領域が再び侵食を始めて、パブリックとプライヴェートの境界線が上書きされる。健全な不純さを取り戻したストリート・ライフがあちこちで息を吹き返した。

その一方で、展示会場のジャヴィッツ・センターや空き店舗が一夜にしてポップアップのワクチン接種会場に生まれ変わるのを見ていると、パンデミックとは、どれだけ素早く利用方法やルールを書き換えることができるのかを競う巨大な共同実験であり、この都市がタブラ・ラサに立ち戻るのに立ち会っているような気にもなってくる。

今後いつ、どんな方向に、市が再び動こうとするのかわからない、それまでの間を最大限に利用してあらゆる可能性を探ろう。ほどよく壊れたニューヨークには、どんなことも可能なのだと思わせるところがある。なにしろニューヨークの取り柄といえば、根拠のないオプティミズムなのだ。

パンデミックは、多くの人たちに生活や働き方をあらためて考える機会も与えた。仕事以外の自分自身のプロジェクトを始めたり、子供と時間を過ごしたり、なにより自分のことをして、自分の時間をコントロールできるようになった人は多い。

現金給付など政府の一連の財政補助は、それによって多くの人が生活を続けることができたのはもちろん、それまで陥っていた回路から抜け出ることを可能にした。足下の生活の必要性から後ろ向きのサイクルの深みへと落ちこんでいく人が、目先のことから視線を上げて、これからなにをしようかと考えられるようになった違いは大きい。

思いがけないことで、誰も止めることのできなかった自動運動からようやく降りることができたわけだから、またあのスパイラルに戻ることだけは避けなければいけない。サーヴィス業に人が戻らない大きな理由はこのためなのだ。

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2021年のニューヨーク市長選挙の民主党予備選挙に立候補し、敗退したアンドリュー・ヤンは、そのキャンペーンで「ニューヨークを再び楽しいところに (Make New York City Fun Again)」と謳った。そのヤンが主張していた施策は、カジノの誘致やニューヨークをビットコインの巨大ハブにしようというものだった。

ニューヨークを再び楽しいところにしたいなら、そうした楽しくするための施策を全てやめればいい。そうすればニューヨークは多少は楽しいところになるかもしれない。楽しませるためのものをわざわざ外からもちこまなくても、ここに住む人たちに見つけさせてルールを書き換えさせた方が、よっぽど面白いものになる。予め誰かが準備した楽しませる目的につくられた施設や道具は、せいぜい住民を消費者やお客様にするだけのこと。もちろんそれが目的であるとすれば、また話は別なのだが。

都市の成功モデルというべきものが仮にあったとしても、都市は絶えずその外へと出ようとする。ある特定のモデルが都市なのではなく、モデルから絶え間なく逸脱を続けることが都市なのだが、市はそれを追いかけては閉じ込め、固定し、固執する。楽しそうな言語を用い、賑やかに音量を上げたところで、窮屈で沈滞化するのは免れない。

それはヤンにかぎったことではない。パンデミックをバックミラー越しに見つつあるいま、相も変わらず15年前のモデルが、同じナラティヴが、まだ通用するかのように、またもや同じことを繰り返しているアーバニストこそが問題なのだ。

実験期とでもいうべきここ一年のニューヨークは、新しい都市に生まれ変わるまたとないチャンスだが、それが一過性のエアポケットに終わるのどうかはまだわからない。なにしろニューヨークのダメなところは、根拠のないオプテミズムに頼ってしまうところなのだ。