シームレス

入口を抜けて奥へと進み、照明を落とし気味の人のいないレセプションに設置されたiPadでセルフのチェックインを済ませると、エレベーターで上階へと移動して部屋に入る。部屋はもちろん清掃済み。誰が掃除したのかはどうでもいい。大事なことは清掃が予定通り終わっているかどうかであって、清掃員の姿は客の目に入らない方がむしろ望ましい。部屋に足りないものがあれば、下に電話するだけで朝食でも夜食でも部屋に届けてくれる。今夜この近辺で予定されているエンターテイメントのリストも昨日のうちに届いていたはずだが、多すぎる情報に目を通すのも面倒だから、おそらく一番上に表示されていたおすすめのものに足を運んでみることになるだろう。

ホテルの人と電話で話すのが煩わしければ、アプリを立ち上げてホテルの外からピザやタコスのデリバリーを頼んでもいい。いまやレストランからホテルの部屋にデリバリーを頼むのは当たり前。スクリーンに表示されたメニューからレストランと食べ物を選び、「はい」か「いいえ」をタップしていけばオーダーは完了。すべてはスムースでシームレスに進み、午前3時でも4時でも、雨だろうが吹雪だろうが、30分後には暖かい食べ物が部屋に届く。もちろん部屋から一歩も外に出る必要はないし、人と顔を合わせるのは、雪の中を自転車でデリバリーにかけつけた人がドアをノックした時だけで済むというわけだ。

部屋の状態は万全のはずだが、もしも不備があればすぐに苦情を言おう。たちまちホテルの人がとんできて不具合のイスを交換し、エアコンを修理してくれる。すべて問題なく機能し、快適に過ごせて当たり前。それに苦情に対応するのも料金のうちなのだ。仮に問題が解決しなければ返金を要求すればいいし、別のホテルをみつければいいだけのこと。なにしろ私はお金を払ったのだ。

1.

自宅の部屋で眠っていると、なにやら大声で騒いでいる人たちの声で午前4時に目が覚める。深夜まで営業する向かいのレストランの従業員が外に出て騒いでいるらしい。ニューヨーク市が運営する、苦情を報告できるアプリのNYC311をタップしよう。こうした苦情が度重なるレストランは営業停止になることもあるから、住民にとっては便利なツールなのだ。近所の建設現場の騒音など、苦情を報告するために一日に何度もそのアプリを立ち上げることもある。家の前の歩道のゴミが回収されていなかったり、大雪の翌朝に除雪が終わっていなければ、市に電話すればゴミ回収車も除雪車もやってくる。

騒音や除雪は迷わずすぐに苦情を訴える。自分の生活に支障が出るわけだから当然だ。実際NYC311に寄せられる苦情の件数は年々増えている。それなら、市が提案している数ブロック先のパブリック・ハウジングの取壊しと、その跡地に予定されている超高層コンドミニアムの建設計画について、市に意見した人はどれだけいるだろう。

自分はパブリック・ハウジングに住んでいるわけではないし、高級コンドミニアムにも縁がない、それにそんな問題をどう考えればいいのか、まして解決法などもち合わせてはいないというところなのかもしれない。それに言うだろう。そんなことは市長とそのスタッフの仕事であって、そのために彼らは雇われているのだと。なにしろ私たちは税金を払っているのだ。

市のテクノクラートが準備したメニューから気に入ったものをタップし、料金を支払い、不備があれば後から文句を言う。文句をいうのも面倒、苦情を伝えても改善しないというなら、より望ましい別の都市に引っ越そう。多くの人が集まるような魅力的な都市にすることが市長の仕事ではないのか。お金を払っている限り市はニコニコといい顔をしてくれるはずだし、さらに奮発する上客には満面の笑みで応えてくれるのだ。

住民にとって何が重要で、最善の方策は何なのか。それを決めるのは市で、住民は「はい」か「いいえ」で選択する。もはや市民参加は限界まで稀薄化された住民投票以上のものではありえず、住民はお客様、市政府はカスタマー・サービスとして振る舞うことが求められるとするなら、両者の関係をとり結ぶものはマネー以外には何もなく、お客様とカスタマー・サービスの間に「市民」が占める場所はどこにもない。

アパートから一歩も出ることなく苦情をタップすれば誰かがそれに対応してくれるNYC311のようなツールは便利には違いないのだが、いや便利だからこそ、住民のお客様化を嫌でも露呈せざるを得ないし、それを助長してもいるだろう。といっても、それはテクノロジーのせいではないし、そもそもテクノロジーの問題でもない。

向かいのレストランの従業員がうるさければ、NYC311を立ち上げる前に、その人たちのところに行って、小声で話すよう促してみることもできるはずだ。見ず知らずの人たちにいきなり意見するのは億劫なことだが、レストランの人たちだけでなく、近所の人たちと多少顔見知りでありさえすれば、それはそんなに難しいことでもない。あらゆることを市に頼る必要はなく、当事者間で解決できることは少なくないはずだ。

いやいや、そんな面倒なことを誰がするものか。人に解決してもらい、誰かに決めてもらった方が楽だし、責任を負うこともない。議論や意思決定に参加するなど厄介なだけ。考えて決める自由から解放された不自由の方が楽に決まっている。政策から隣人の騒音まで、ありとあらゆる判断と対応を市政府に預けることで、市に私たちの生活を監視し、取り締まる口実を与えるばかりか、一元的な管理による集権化をも招いているはずなのだが、それはそっと見ないふりをしておけばいい。それに中央によるトップダウンはきわめて効率的なのだ。

2.

複雑な都市に現れる複雑な問題に、「はい」か「いいえ」の極端に単純な二択を迫るソリューションには、どの選択肢に対しても「違う」と拒否することや、選択することそのものを拒否すること、その問題について自分たちで解決法を模索し、調整する余地は予め排除されている。

スクリーンをタップすることで様々な問題が解決するシームレスな世界のファンタジーとは違って、現実の都市はでこぼこしていて、あちこち衝突ばかり起きている。多くの人たちが狭い場所に他人と背中合わせで暮らし、限られた資源を共有するのだから、利害がぶつかり合うのは必然なのだ。

一歩外に出れば、850万人の住民だけでなく、一年に6500万人訪れる観光客とたちまち歩道を共有することになる。向こうからやってくる人とぶつからないように互いによけ合うことが必要だ。ニューヨークの歩道は自動車が普及する以前はいまよりもずっと広かったのだが、20世紀を通して車道が歩道を奪うことになった。21世紀に入りようやくその流れは押し戻されつつあり、今度は自動車から歩行者へと場所が与えられようとしている。深夜の騒音も利害の不一致によるものだ。同じ場所を共有しながら同じ生活時間帯を共有しないときにそれは騒音として現れる。

何かをすれば必ず他の人たちに影響を与えることになる都市はコンフリクトに満ちている。アパートに閉じこもりデリバリーだけで生活していても、間接的に他の人たちと常に関係していて、その先にはコンフリトが現れる。シームレスな世界をスクリーンに立ち上げることはできたとしても、アプリはコンフリクトを解決しはしない。お客様の目に入らないように隠すだけだ。

特定の目的を効果的に達成するために、チームのメンバーに異なる背景をもつ人たちを集めることがある。企業はそれを多様性と呼んでいるようだが、それは都市の多様性とはおよそ異なるものだ。そもそも都市には目的がないばかりか、そこに住む不特定多数の人たちがそれぞれ異なる目的をもちこむことで、無数の相反する目的が競合し、ぶつかり合い、衝突をあちこちでつくり出すことになる。

「オープンな場所」といえばたいそう聞こえはいいけれど、それは少しも愉快なものではない。それどころか、考えや言語、習慣を共有しない人たちと一緒に暮らすことはむしろ不愉快で、ありがたくない摩擦やストレスが生活にのしかかってくる。ホームレスの権利を擁護するのは簡単だが、ホームレスの隣の席に座ってコーヒーを飲むことはずっと難しい。多元文化主義などと説教臭いことをわざわざ主張するまでもなく、都市は日夜さまざまな差異と矛盾を息づき、コンフリクトを生み出し続けている。

利害の調整を求めて住民がそれぞれ折衝し、一時的な同意を取りつけ妥協を受け入れつつも、ご都合主義的な結合や不和を繰り返すことで、都市は動き続けることを止めない。あらゆるところで起きる衝突は厄介なことには違いないのだが、それは都市を動的にしている大きな可能性でもある。衝突や摩擦をインタラクションと言い換えてみればいい。実際そこで起きていることはそんなに変わりはしない。

利害の不一致があるからこそ都市であり、そこにこそ都市の都市性が存在する。都市はシームレスとはほど遠い厄介で面倒な場所なのだ。その当たり前のことをもう一度確認しておこう。必要なことは、それを取り除くべき問題と捉えて隠してしまうことではなく、それを都市に本来的なコアと認めたうえで、あらためて導入することなのだ。

3.

ニューヨークでは常に多くのことが起きていると言われる。とはいえ、実際に起きていることが、他の都市と比べてことさら多いわけではないはずだ。多くのことが起きているようにみえるとすれば、それはこの都市に起きている些細なことを見つけては伝えようとする人たちが多く存在するからに違いない。

誰かに頼まれたわけでもないのに、毎日歩くネイバーフッドのほんのわずかな変化に注意を払い、歩道に現れたおかしな落書きをみつけてはポストしている人がいたり、研究者でもないのにニューヨークにこれまで存在したLGBTの場所を全て調べ上げてマップを作っている人がいる。8000マイルにおよぶ市内全てのブロックを数年間かけて毎日歩いている人もいる。

個人的な関心や自分の利害のために彼らが続けていることは、いかにも役に立ちそうにないことばかりなのだが、シームレスに閉じようとする世界に綻びを見つけては伝えてくれる彼らの役割は計り知れず、それだからこそ多くの人たちが彼らに反応し、さらに多くの人たちの関心を集めることになる。自分が住んでいるところで起きていることを知ること。まずはそこからなのだ。