ボーダー・コントロール

今年の3月にカナダは、COVID-19の症状がある乗客がカナダ行きの国際線フライトに搭乗することを禁止した。感染拡大を防ぐためにカナダは国境を閉じたと伝えられたが、必ずしも正確ではない。

カナダに向けて飛び立つ前に、出発地である他国の空港でカナダへの入国が拒否されるわけだから、カナダの国境がヒースロー空港や成田空港までやってきて、カナダから数千マイル離れた地点で国境を閉ざしたことになる。国境が国境を超えて、他国に飛び地として現れている。

国境もリモートといえば2020年的かもしれないが、実はそうでもない。ボーダー・コントロールが国外のハブ空港に移転し始めたのはかなり前のことで、パンデミックはそれを加速しただけなのだ。

チューリッヒからニューヨークのJFK空港まで飛んでみよう。米国の入国に必要な事前審査が、チューリッヒ空港のターミナル内搭乗ゲートでフライトの前に行われる。チューリッヒ空港内で、米国のエージェントが米国の入国に必要な書類を確認し、その審査をパスした乗客の搭乗券にはスタンプが押され、スタンプがない搭乗券を持つ乗客は米国行きのフライトに乗ることができない。そして8時間かけて大西洋を超えて着陸したJFK空港では、長い列に並び、再び入国審査が行われることになる。

欧州の南から米国に向かう場合には、チューリッヒは便利な経由ルートになる。この春には米国の入国規制が実施されたことによって、たとえばイスタンブールから米国に向けて飛び立ったものの、乗り継ぎのチューリッヒで米国への入国を拒否されたという人が少なくなかったという。

チューリッヒだけではなく、数百人のエージェントが世界各地の空港で、毎日米国行きの乗客の入国審査を行っている。こうした事前審査を導入しているのは豊かな国が多く、国境から遠く離れた出発前の時点で望ましくない者を阻止することができるほか、各地で審査の回数を増やすことによって、入国する可能性が低くなる利点がある。

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今年の7月、オレゴン州ポートランドの路上で抗議活動を続ける人たちに対して、連邦政府がエージェントを送り込み、抗議者たちをヴァンに押し込み連行した。迷彩服に身を包んだエージェントは、国土安全保障省の国境警備部隊だったことが後に明らかになった。

米国内には、憲法で定められた権利が部分的に保留または限定される地帯が存在する。カナダおよびメキシコとの国境、そして米国の東西の海岸線から成る「外部境界」から100マイル(160キロ)以内の地帯は「憲法が適用されない地帯」としても知られる。その圏内では国境警備部隊が通常よりも大きな権限を与えられることになり、高速道路や路上で誰でも人を止めて尋問し、逮捕し、勾留することができる。

100マイルと言えばずいぶんな距離になる。その100マイル圏内には人口密度が高い都市が多く存在し、米国に住む人の3分の2がそこに含まれることになる。不法滞在の移民が多いニューヨーク州やフロリダ州は、州全体がこの100マイル圏内に収まる。米国内の滞在に必要な正式書類を所持していない不法滞在の移民については、米国領土内にありながら国境圏とみなすことで、空港の入国審査で入国を拒否するのと同じように、米国内にいる誰に対しても憲法が保障する基本的な権利や保護を主張することを許さず、直ちに国外退去させることが可能になる。国境は国境を離れ、国内にも追いかけてくる。

国境が自ら折り返すように内陸に向かって100マイル滲み出し、米国に暮らす人の大半を曖昧な国境帯が侵食する。このポータブルな国境圏の影響を受けるのは移民だけではないことを、最近米国市民も知ることになった。2001年の同時多発テロを契機として、国境を警備することを任務としていた特殊部隊は対テロをミッションとする国家安全保障を担う部隊に加わっている。国境警備部隊が展開したポートランドでのオペレーションは、抗議活動をテロとみなしたものだ。都合のいいことに、ポートランドは太平洋の海岸部から約80マイルの地点にある。

国境は地図上に描かれた固定した実線であることをやめて、ポップアップ宜しく世界のあちこちに現れ、そして国内にも走る。どこでも国境になりうるのだ。国境を目で見ることが難しくなった。とはいってもコントロールの手が緩められたわけではない。コントロールを強化するために、領土と規制の結びつきを解いているのだ。

国境のありようが変容していることを指摘して、法学者のアヤレット・シェイカーは、人の移動を理解するには、人の移動よりも、国境の移動に注目する必要があることを主張する。壁は国境を意味しない。だからこそ世界のあちこちで壁が立ち上がっているのかもしれない。

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ルクセンブルクのフィンデル空港には、世界中からアート作品が運ばれてきては、滑走路から導かれる専用道路を経て倉庫へと向かう。空港内には四階建ての建物に22千平米の保管場所があり、美術品のほか、ヴィンテージのワイン、貴金属、ジュエリー、クラッシック・カーが保管されている。行き届いたセキュリティと厳密な守秘体制に加え、貴重品の保管に最適な条件を維持するために、倉庫内の気温は常時21℃、湿度は55%に保たれている。

空港内のフリーポートに保管されたモノは、技術的にはトランジットとみなされることで、通関や税金が保留になる。上屋(うわや)など保税地区に指定された場所は大昔から世界各地にあり珍しくない。このフリーポートの特徴は、空港内の特定の場所にあるモノが、「永続的にトランジット」の状態にあるとされている点にある。

フリーポート内は「関税やその他の税金の一時的な免除が無期限に」適用される。そこに眠る多くの免税品は、フリーポートを離れた時に、それが向かった目的地で課税されることになるものの、その時までには持ち手が変わっているだろう。フリーポート内にはギャラリーが併設されていて売買をサポートするが、所有者が変わってもモノは動く必要はない。動くとしても、せいぜい同じフリーポート内で、売り手の保管場所から買い手の保管場所へと移動する程度だ。

今日のフリーポートの起源とされるジュネーヴのフリーポートにはゴッホやクリムトの作品が眠っているといわれ、2010年にはシンガポールに新しいフリーポートがオープンし、いまでは北京にもモナコにも、米国デラウェア州にも存在する。2018年にはマンハッタンにもオープンしたが、今年の9月に閉鎖が発表された。

同じ空港内に異なる法域が走るところに、フリーポートは成り立っている。高価な資産が国と国の間に宙吊りになり、どの国にも属さない状態で保管されているとすれば、本来ならばそれを取り締まるはずのところを、あたかも失敗国家のように、自らの領土内におけるコントロールを失うところにそれは姿を現す。オフショアの金融センターをオンショアに内面化した飛び地のようでもある。

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領土と主権の領域がぴったりと重なっていれば、コントロールを行うのは国境上ということになるが、国境は世界各地に拡散していて、時には領土内のコントロールの一部が自発的に失われようともしている。グローバル化の全盛期には、国家はその力を失い無意味になったとボーダーレス・ワールドが謳われたりもしたが、グローバル化の宴から目覚めてみると、増殖した国境の亜種があちこちを取り囲んでいた。

アーキテクトのケラー・イースターリングは、複数の法域が重複するフリーポートを「超国家的国政術 (extrastatecraft)」と呼んでいる。フリーポートは部分的に国家の法域を超え、その意味では確かに超国家的ではあるものの、同時にそれは、ホスト国として利益に与るパートナーシップをとり結ぶ国政術でもある。

ルクセンブルク政府自身の言葉によれば、空港内のトランジットは「アセット・マネジメントの戦略的ロケーション」というわけだから、戦略的にコントロールするためには、戦略的にコントロールを失うことが必要なのだ。そしてイースターリングに言わせれば、フリーポートのような自由圏こそが今日の都市を生成している。

今日の都市をつくっているのは古今東西の都市を知り尽くしたプランナーの彗眼でもアーキテクトの意匠でもない。自由貿易圏やISO規格といったソフトウェアがグローバル・アーバニズムを生成している。ソフトウェアがその上に書かれるコンテンツを規定するように、自由圏から立ち上がる世界都市は深圳やドバイを反復する。都市や国家が自由圏を招き入れるばかりか、表と裏が反転するように、自由圏が都市になる。

そうしたソフトウェアは、新興都市だけではなく、伝統的な都市をも上書きしようとしている。EU離脱を間近に控えている英国は、国内の空港、港、駅など10ヵ所にフリーポートの開設を提案している。外国人投資家に国内への投資と引き換えに居住権を与えるゴールデン・ビザの導入によって、外国人によるアテネの不動産取得ラッシュはおさまる兆しがない。取得したアパートは割高で貸せる観光客向けに改装し、パルテノン神殿の周囲には旧来の観光地とも異なるグローバルな飛び地がそこここに立ち上がり、アテネのランドスケープを内部から蝕みつつある。

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フリーポートを裏書きする恣意性を問題視する人は少なくない。だが領土とコントロールの蜜月が終わり、その綻びに口を開く飛び地のゾーンに可能性を見ることもできる。

保管された作品の量を考えると、フリーポートは世界でも最も重要なアートの場所と考えられる。スペクタクルを競うビエンナーレやスターアーキテクトの手によるミュージアムが国を賞揚する表の顔だとすれば、法域が後退する深淵に死蔵する作品群はダーク・ウェブのような隠されたミュージアムとでも言える。仮に作品が国外に移動するにしても人の目に触れることはなく、ダーク・ウェブがそうであるようにその足取りを残しはしない。

ヒト・シュタイエルはそこにパブリック・ミュージアムの新たな形態を探ろうとする。「デューティ・フリー・アート」は、文化や国民を表象するルーヴルのような従来のナショナル・ミュージアムとは異なるモデルを提起する。

国民をつくるにはミュージアムが必要だというが、今日ミュージアムをつくるのに国民はいらない。2014年に避難シェルターとして難民を収容したことで、その国民ではなく、国の瓦解を逃れた人たちを表象することになったトルコのディヤルバクルのミュージアムと同じように、フリーポートも国を失ったモノを収容する。国や文化を表象する責務はないのだ。

フリーポートに眠る作品にも責務 (duty) はある。資産であるという責務だ。責務から解放された (duty-free) わけではなく、税金がない (tax-free) だけなのだ。他方デューティ・フリー・アートには価値を体現する任務もなく、作家や所有者からさえ切り離された固有の自律性を獲得しうる。

ゾーンの裂け目をよりおし広げてみることで、国民国家モデルの向こうへととび超えることはできないだろうか。実際フリーポートの起源とされるスイスときたら、治外法権の飛び地ばかりの倒錯ぶり。スイス・チーズにもう少し穴を増やせば図と地は反転しようというものだ。

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バイオメトリクスのデータ蓄積が進み、私たちひとりひとりの身体がポータブルな国境になり、個人化した国境を持ち歩くことさえそれほど遠い未来の話ではなくなりそうだ。他国でのプリクリアランスは着々と各国に広がっているし、米国移民法 212(a)(6)(A) の導入など、国境と法域は頻繁にヴァージョンアップを続けている。ソフトウェアがアップデートしているなら、アプリケーションをヴァージョンアップする必要がある。

あちこちで国境が曖昧になっていることが告げているのは、ボーダー・コントロールが「ボーダーにおけるコントロール」を意味するのではなく、「ボーダーそのもののコントロール(マニピュレーション)」になっているということだ。

いくつものボーダーと飛び地が交錯し、領土に関係なく気がつけばボーダーの外にいることになり、同じ場所でもある人たちにはヴァーチュアルな超国家であってみたりと、ボーダーは同じ国民の間を分けて走ることになるのだろう。グローバルでもナショナルでもなく、フィジカルかヴァーチュアルかでもない、この曖昧なボーダーをどのように歩くことができるだろう。