3年ぶりのアテネに着いた翌朝、会うことになっていた友人から「カフェでつかまっているからこっちに来ないか」と連絡があった。
指定されたカフェに向かうと、歩道に設置された席に、友人と、犬の散歩で彼が毎朝会うという人がいた。
その友人の友人は「私はクレタ島の出身だ」と切り出して、クレタではカフェに座っているところに知り合いが通りかかると必ずその人を招き入れて、その人の分も払うのだ、それがクレタのならわしなのだと熱っぽくまくしたてて、まあ座れとひとつ空いていた椅子へと促した。そう言われると腰をおろさないわけにはいかない。友人もこうしてつかまったようだった。
そしてたっぷり2時間近く、クレタのこと、2月末の列車衝突事故と5月に予定されているギリシャの総選挙、最近オープンしたコーヒーショップの話などを聞くことになった。着いた早々いろいろな話が聞けたのはありがたいものの、その寄り道のおかげで午前中の予定がつぶれてしまい、午後の予定にも大きく食いこんでしまった。
それはいかにもアテネらしい旅のはじまりとも言える。それ以降そのカフェには毎日のように立ち寄ることになり、店の人もすぐに覚えてくれた。馴染みのカフェとバーができたらそこには住める。
3月末のアテネの街路樹には、オレンジによく似た、しかし食べられないという柑橘の実が鈴生りに生っていた。レモンの木もやはり実をつけていて、どんな食事にもオリーヴオイルとレモンが欠かせない国とあって、レモンの場合は人が勝手に収穫していくようだった。
着いた後の数日は、コーヒーとフレッシュジュースを頼りにとにかく歩き続ける。なにしろ3年ぶりだから、1日歩いたくらいでは思い出せない。それもあるけれど、アテネで何よりすべきことといえば歩くことなのだ。
劇場やミュージアムをはしごするよりも、街を歩き回る方が楽しいのがアテネだ。ニューヨークにも同じことが言える。あちこちにカフェが待ち構えていることも、アテネを歩く者にフレンドリーな都市にしている。疲れたらカフェに座ればいい。
3年ぶりのアテネは大きく変わってはいないように見えた。安くて美味しいサンドウィッチの店がパンデミックを乗り越えて続いていたが、3年前によくお世話になったバーの扉は閉ざされていた。
もちろん新しい店も数多くオープンしている。飲食業はこの都市の一大産業であり、店の入れ替わりの早さといったらニューヨーク以上の忙しさなのだ。
新しいコーヒーショップがいくつもオープンしているのはいつものこと。生活の中でカフェが欠かせない場所を占めるアテネの人たちの間では、いまどの店のコーヒーが一番美味しいのかはひときわ重大な優先事項であり、誰もがカフェ評論の自説を熱心に説きたがる。
そして数年前にオープンした時にはアテネで一番と褒めちぎっていたコーヒーショップの質がすっかり落ちてしまったと嘆くあたりは、新しくオープンしたレストランを追いかけてはすぐに目移りするニューヨーカーと少しも変わりはしない。
ここは美味しいからと強く推奨されたコーヒーショップを訪れてみると、自ブランドの缶コーヒーを展開していたり、やけにアパレル商品化に熱心なところなどは、世界中どこでも流行は同じなのだなと、やむことのないグローバル化をあらためて実感したりもした。
早速火曜の夜からパーティーが始まった。北欧のデザイン・オフィスのハウスパーティーで、週末は予定が入っている人が多いため、集まりやすいようにと週の初めに設定されている。その結果、一週間を通じて毎晩パーティーが続くことになるのだが。
冷たい雨の夜にはさすがにアテネの人たちも外に出るのが億劫になるとみえて、客はわずかで気兼ねないためか、アジェンダも目的地もなく次から次へと話題は移動を続け、普段接点のない話の波に次々と打たれることが心地よい。
ロシアと国境を接しているフィンランドには、いざという時のための動員体制がある。そんな話をしていた次の瞬間には、アンドレイ・タルコフスキーへと話が移る。スウェーデン人のホストの父親が「サクリファイス」の製作に関わっていたらしく、タルコフスキーに会ったことがあるのだという。
そしてニューヨークの話につかまった。フィンランド人の女性が数年前ニューヨークに住んでいたらしく、彼女の友人がすぐ近くに住んでいたことがわかり、おそらくすれ違っていたらしい近所のコーヒーショップの話をした。こうした時にはたいてい互いの共通点を探すものだ。
アテネで外国人二人の間にニューヨークの接点がみつかるのは奇妙な偶然だと言うので、ニューヨークは外国人が知り合うところだから、偶然というよりも必然なのだという話をした。一度住めばニューヨークはどこにでもついてくる。
いまはベルリンに住んでいる彼女は、ニューヨークの方がダイナミックで戻りたいと考えているようだった。あちこち人が移動しているのはパンデミック後も変わっていない。ひょっとしたらパンデミック後の方が、移動先を探る人は増えているのかもしれない。
いまでも定期的にニューヨークを訪れているというから、ニューヨークでよく行くバーのことを教えて、自分はいつもそのバーでつかまるのだと伝えた。その店に座っていると、そこから離れる気がしない。
その週末には、一年ほど前にアテネに引っ越してきた家族のハウスパーティーに立ち寄ることになった。
幼少期からずっと英国で過ごしたギリシャ人と英国人の夫婦が、子供ができたことをきっかけにロンドンからアテネに引っ越したらしい。家の改修がようやく終わり、引越しにひと区切りがついたことを記念するパーティーだという。
集まった人たちにはおのずと英国人が多く、ロンドンから引っ越したギリシャ人女性も生涯の大半を英国で過ごしているから、ギリシャ語よりも英語の方ができる。ほぼ英国人と言っていい。
ギリシャとは縁のなかった英国人の夫は庭の手入れに忙しく、ロンドンと大きく異なるアテネでの生活を二人は気に入っているらしい。
英国大使館で働いているという夫婦と話をしていると、こちらの話し方を聞いてのことだろう、「長くアメリカに住んでいるからさぞかしアメリカナイズされているでしょうね」と言われたりもした。
これが英国流の皮肉なのかどうか、「アメリカ語」しかできない者には判断しかねるが、たしかにアメリカナイズされた人間などほめられたものではない。何しろ安全面などからアメリカはもはや住む場所ではないとして、自国を離れて欧州に引越すアメリカ人が増えているくらいなのだ。
それを言えば、この大使館員の二人は、この家族がロンドンからアテネへの引越しを決めた背景には英国の凋落ぶりがあり、もはや破綻国家 (failed state) だと話していることを知っているだろうか。ロンドンよりもアテネの方がいいと判断して、長年住み慣れたロンドンを離れたのだ。
NHS (国民保健サービス) の危機にみられるように、あの栄光の英国がなぜこうなってしまったのかという人は多い。安直な答えを求めるなら、EU離脱とボリス・ジョンソンということになるかもしれないけれど、そうした目先のこととは違った、もっと大きな地殻変動が働いているということはないだろうか。人は思っている以上に敏感に察知して動くものなのだ。
もちろんロンドンが殊更ダメになったというよりは、世界中で同様のことが起きていると言った方がいい。ニューヨークもほぼ同様だ。大きなハブの結び目が解け始めている。
ギリシャでは2009年の危機後に、多くの人たち—特に高等教育を受けた若い人たち—が自国を離れて、当時はEUだった英国などへと向かった。大量の「頭脳流出」と呼ばれたが、いまでは人が逆流する「頭脳流入」に転じていると報じられてもいる。
そういえば、英国の名高い大学で教授職を勤めていた別の友人の兄が最近アテネに戻り、アテネの大学で教鞭をとりつつ、議員として選挙に出馬する予定だと聞いた。流れはどうもいわゆる「グローバル都市」の旗色が悪い。パンデミック後遺症にすぎない一時的なもので終わるだろうか。
ある日の午後、アクロポリスの南に位置するクカキと呼ばれるネイバーフッドでランチをとることになった。いくつかの店を物色した結果、目新しいカフェに入ってみた。
QRコードから読みとるメニューを見ると、キノアやヴィーガンなど世界中の都市でみられる「グローバル・フード」の店だった。カツサンド (Katsu Sando) もメニューにあるということは、カツサンドもファッショナブルなフードの仲間入りを果たしたのかもしれない。
そうしてあらためて店内を眺めてみると、ニューヨークやロンドンにあってもおかしくない店のつくりで、客が身につけているものもまさにそうだった。
ランチを済ませて歩いていると、玄関先にいくつも鍵がくくりつけられているairbnbの館があった。このネイバーフッドはアテネの中でもairbnbの料金が最も高い人気エリアなのだと聞いて、ランチ店のすべてに合点がいった。
世界中の都市からやってきて、どの都市のものでもない、そしてどの都市にもあるグローバル文化の中で過ごす人たちがこの地区には多くいるらしい。近くにはオーガニックのスーパーマーケットがオープンしていたが、おそろしく高いらしく、近隣の住民たちは寄りつきもしない。
アテネの飲食店ではメニューがどこも同じようなものになってきていると聞いた。メニューのグローバル化というわけか、どの店もハンバーガーなどを出すようになっているという。アテネにもラーメン店がオープンしていたのはその現象の一つかもしれない。日本食をフィーチャーする店も複数できていた。
グローバル化の翳りが色濃くなり、世界が再び動き始める一方で、グローバル・フードが世界中の都市へと一層浸透していることは皮肉というべきなのか、それともいまだバブルの中で惰眠を貪っているというべきなのか。
3年前とあまり変わってはいないように見えたアテネだが、友人たちの話を聞くと、観光政策が一層加速していることがわかった。
中心地にはホテルが増えている。ホテルはエントランスがあるためそれとわかるが、住居棟は外からは変わらないように見えるものの、その上階の部屋は次々とairbnb向けに改装されているという。
中心地に住む人はどんどん減っていて、ひっそりとひと気が感じられない。ただ中心地に住むジャーナリストの知人が言うところによると、彼女のアパートの通りを挟んだ向かいがairbnbの館で、連日朝方まで乱痴気騒ぎを聞かされるという。とても住むところではない。ウィルスが内部から蝕むように、中心地には目に見えない侵食が進んでいる。
不動産を取得することで居住権を得るゴールデン・ヴィザのプログラムは、広く公的な便益が期待できないという理由で、ポルトガルやアイルランドなど、そのプログラムを中止する国が続いているが、ギリシャには見直しの兆しはない。
ゴールデン・ヴィザの取得サポートを行うビジネスによると、プログラムを終了する国があることで、ギリシャの投資プログラムは一層魅力的になるということだ。
今回のアテネで何度か耳にして印象に残っているのは、どこに行くにも予約が必要になったということだった。
たとえばレストランに行くにしても事前に予約が必要になった。店に入ると予約の有無を聞かれて、予約がないと座れない。以前はそんなことはなかった。
思いついてレストランに入り、そこに座る。席が一杯なら奥からテーブルを出してきて、歩道に置いて即席の席をつくったのだ。
予約などというものに縁がないくつろいだ雰囲気が好きだったという人は多い。少し大袈裟に言えば、都市のキャラクターが変わってしまったことになる。いまでは飲食店だけでなく、アート・ギャラリーを訪れるにも予約が必要になっているという。
パンデミック期に人混みを緩和しようとする目的があったのかもしれないし、増える一方の観光客にもフレンドリーにということなのかもしれない。
予約をすれば済む話じゃないかと思われるかもしれないけれど、そういうわけでもない。予約することで、事前に決めたことしかできなくなる。余計なことができなくなるのだ。
何年前のことだか忘れてしまったけれど、観光客が多い中心地を歩いていると、何度か会ったことのある知人にばったり出会した (それにしてもアテネは誰かとばったり出会すことが多いところだ)。
その建物の上階がコワーキング・スペースになっていて、そこに彼が勤めるビジネスのオフィスもあるのだという。「のぞいていかないか」と言われたものの、ちょうどある用事で別の場所に向かっているところだったから、「明日はどうか」と尋ねたら知人の顔が曇った。
一緒にいた友人に「見たいなら今しかない、次の機会はない」と囁かれて、思い直してつかまってみることにした。当初の訪問先を諦めて、オフィスに立ち寄ることにしたのだ。
こんなところにコワーキング・スペースがあるのかと思ったし、広々としたテラスがあるのはいかにもアテネのオフィスらしい。料金も驚くほど手頃だ。欧州のスタートアップ事情を垣間見ることができたし、なるほどと思う点がたくさんあった。知人のビジネスのこともよく知ることができたし、比較的通じている分野だったこともあって、「明後日ボスがロンドンから来るけど会わないか」と言われたりもした。
その翌々日にアテネを離れることになっていたからボスに会うことはなかったが、それでも寄り道の価値は十分あった。
次はない、今しかない。それなら予定になかったことを今するしかない。衝き動かされるようにチャンス (偶然) に従っていると、予定がどんどんずれこんでゆき、すべきことができなくなる。逆にあらゆることが事前に決まっていると、チャンスが起きる余地はない。
ある土曜日のこと、前日とはうってかわって突然街に人が増えていた。4月にしては肌寒い日が続いた後だからかもしれない。
乗り合わせたタクシーの運転手によると、欧州の裕福な人たちは、週末にさしかかるところで各地の天候を確認して、天気がいいところに飛んで週末をそこで過ごすのだという。
週末に初夏の陽気が予想されているアテネに、欧州各地から豊かな人たちが集まってきたのではないかというのが運転手の推測だった。イースターを控えた休暇の時期に差しかかっていたこともある。
事前に決めず、気ままに移動する人たちもいるらしい。もちろんそこには多大なコストが必要になる。予約せずに気ままにやっていくのは何よりの贅沢なのだ。
チャンスに任せ、直感を頼りに寄り道をしてみる。どこかで面白い話が聞けるかもしれない。面白いものはたいてい何だかよくわからないものだから、行ってみないとわからない。すぐに理解できるものなら、わざわざ足を運ぶ必要はない。
実際面白い話を聞きつけたり、誰かと知り合うと、もう少しここにいてみようかと思えてくる。ただチャンスに従ってみても、必ずしも面白いものに出会えるわけでもない。
中心地近くに前世紀半ばから時間が止まったような「ギャラクシー」というバーがあり、アテネを訪れるたびに一度は立ち寄ることになる。
6-7年前だったか、その混み合うギャラクシーの店内で、ニューヨークの近代美術館で作品を展示中だというギリシャにルーツをもつ英国人アーチストと隣合わせになって知り合い、アテネにあるスタジオに明日来ないかと言われた。
翌日の午後に教えられた住所を訪れ、その建物のブザーを鳴らしても応答はなく、もらった電話番号に連絡してももちろん電話の電源は入っていない。昨夜店を出た後、彼女は一体何時までギャラクシーにいたのかとその時初めて思うに至り、昼過ぎに電話が切られたままなのは当然のことだろうと考えた。
そんなものだし、それでいい。ニューヨークに戻って、早速近代美術館で彼女の作品を探したところ、美術館内のレストランに展示されていたギリシャの伝統的織りを利用した作品は、確かに彼女の名前のものだった。
先のことまで考えて、事前に予定を組んでこなすのが賢いやり方なのは間違いない。ただそれではどうにもつまらない。進め方が予め決まっていて、間違いが起こりようもなく、余計なこともできない。流れが変わるのは旅に欠かせないことだし、アクシデントもつきものだ。
こうしてあちこちでつかまることになる。よく考えてみればいつもどこかでつかまっているし、そのために旅をするようなものかもしれない。それにアテネのようなところには、あちこちに寄り道の罠が潜んでいる。
今回は片道のチケットでアテネにやってきたため、ニューヨーク行きのチケットをアテネに着いてからとることになった。そろそろ発つフライトを確定しようとすると、週末にピレウスのギャラリーでショーがあるから発つのは週明けにした方がいいという。
こうして滞在がまた長くなり、どんどん後へとずれこんでゆく。いつかここを離れる日がくるだろうか。どうもここを離れる気がしない。旅は片道に限る。いつでも離れられるように、いつまでもいられるように。