人口が減ってよかった

国勢調査局の発表によると、2018年のニューヨーク市の人口は840万人足らず、前年と比べておよそ4万人減少したそうだ。さらには発表済みの2017年の推計人口も下方修正されて、2017年と2018年の二年続いて人口が減少したという。10年以上沸きに沸いた成長期がどうやら終わったことになる。市政府はといえばその統計を鵜呑みにはできないらしく、市が用いるあらゆる指標は依然成長を示していて人口は減少してはいないはずだ、国勢統計局の推計方法に問題があるのではないかと主張している。

ニューヨークから人が離れていると聞いて驚きはしない。自分の周囲にも西海岸や近隣都市へと引っ越して行く人は多いし、なによりニューヨークがつまらないところになってしまった以上、人が離れてゆくのも仕方ない。どこにでもあるこれといって特徴のない都市に誰がわざわざやってくるだろう。

1.

ニューヨークの通りに一歩足を踏み出すと、待ってましたとばかりにたちまち勧誘が始まる。さあここでセルフィーを撮るのをお忘れなく、ここにこんなに楽しいグラフィティがありますよ、すぐ隣の話題のショップを見逃すと人と話ができなくなってしまいます。ああしろこうしろと、あちこちにありありと書き込まれている指示がうるさすぎて都市が見えやしない。

デザイン ・ウィーク、ストリート・フェスティヴァルに展示会、はたまた国際会議ととにかくありとあらゆるイヴェントが続き、それが目当てなのかそれともそうでないのか、観光客がわんさかやってきてレストランは賑わい、ショップが次々とオープンしては閉じてゆく。それなのにニューヨークには見るところがなくなっている。見せられることばかりで見るべきものがない。

なるほどショップやレストランは都市に欠かせないものだが、都市はショップやレストランのことではない。お客様に楽しませるものを山ほど仕込み、見せるためのものが増えれば増えるほど見るものはなくなり、楽しむことはなくなってゆく。それはニューヨークだけのことではないらしく、世界の多くの都市で同じことが起きている。都市はこうではなかったはずだ。いつからこんな風になってしまったのか。

2.

ごく最近でいうと、2008年の金融危機の影響の大きさはやはり看過することはできない。それ以前からその傾向は続いていたとはいえ、予算カットとその結果責任を州や市へ転嫁する動きは金融危機によって加速した。市は予算をバランスさせることを厳しく求められ、その結果財政支出を抑えることになる。税収減も相まってコスト削減を強いられることで、市民への社会サービスは最低限以下まで切り詰められて、投資は徹底して抑えざるを得ない。従来市が行なってきたサービスの外注化はいよいよ進む。

マイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長が公言したような、そして反対に遭ったような、市を企業のように経営することが疑問視されながらも結局は消極的に受け容れられることになったのも、他に選択肢がない状況で「緊縮アーバニズム (austerity urbanism)」が作動していたことを考えれば合点がいく。

緊縮アーバニズムの制約下、どの都市も観光に救いの手を求めたのも無理はない。観光客 (特に外国人観光客) を集め、海外から投資をよびこむことにひたすら傾注し、大きな投資を伴わずに効果的に収入を得ることが期待された。都市の活性化はもっぱら観光客にマネーを落とさせることを意味するようになり、競うようにして都市を手軽に消費可能なコンテンツとして売り出し、ネイバーフッドをマネタイズした。

ほら、ニューヨークはすごいでしょ!ブルックリンはこんなに楽しいんだよ。ほらね、ね!さあいらっしゃい、いらっしゃい。なりふり構わず売り込むそのさまは厚かましさを通り越してどこか悲壮感さえしのびよってくるのだが、そんな見るに耐えない余裕のなさこそが他に術のない市のありようを意図せずして雄弁に示してしまっている。

それなのに、いやそれだからこそ、ニューヨーク市を訪れる人の数は過去最高記録を更新し続け、サービス業を中心に失業率も歴史的な低水準にまで低下した。なによりマネーが回るのだからそれでいいじゃないか。さあいらっしゃい。

3.

1990年代終わりに「起業都市」が提唱され、2000年代には「クリエイティヴ都市」がもてはやされたことも同じ基調の上にあったと言える。

経済生産と経済成長に寄与するかぎりにおいてクリエイティヴと括り上げ、それを成長と富の源泉としてフレームするなら特定の文化は富の生産手段になるしかない (そしてそれ以外のものは「文化」から除外される)。緊縮アーバニズムは必然的に新自由主義への傾斜を強めることになったものの、クリエイティヴといった口当たりのいい言語によってその受容はずいぶん助けられたことだろう。同時にパブリックの領域はさらに失われてゆく。それを補うかのように、擬似的コミュニティを謳うビジネスがこの時期に続々と現れたことは偶然というべきなのか。

クリエイティヴ都市の後をうかがっているのは「スマート・シティ」らしい。なにしろ緊縮財政下の市にとっては市のサービスを企業が引き継いでくれるなら渡りに船というところ。テクノロジー企業への世間の風当たりはなにかと強くなっているなかで、揉み手をして近づいているのはむしろ市の方なのかもしれない。

4.

モンタナからあてもなくヴァンを運転してやってきた男が、1989年には取壊しになるウェスト・サイド・ハイウェイ下の空き地で焚き火をしながらそこに停めた車に寝泊まりして生活することができたのは30年以上前のこと。もちろん誰も金などもっていない。そんなヴァンでも家賃を滞納して部屋を追い出された女をはじめ多くの者があてにしてやってくる。

1982年の「スミサリーンズ」は必ずしも映画のなかにしか存在し得ない特殊な話ではない。ニューヨークの路上で垣間見たこと、小耳に挟んだことを多く取り込んでいる。ヴァンにグラフィティを描いたリー・キニョネスのことなど誰も知る由もなかったし、それはアートとは考えられていなかった。地下鉄内での撮影は許可を得ていない。「ゲリラ撮影」ではなく許可をとることを忘れていたのだ。”Break things”などと恥ずかしい宣言をしなくとも、すべてが壊れていたのだから (things were broken) 壊す必要も意味もない。幸か不幸か取締まりも厳しくはなかった。ただ自分が思うようにつくるのみなのだ。

手元にあるもので好き勝手にやっていくことができる隙間があちこちにあったことは当時のニューヨークの恵まれた環境だった。空き地などの物理的な場所だけのことではない。いくつもの飛び地のようなものをそれ自身の中に抱えこんだそれ自体巨大な隙間がニューヨークだったとすれば、新しいオフィスビルが空き地を塞ぎ、都市に内在する曖昧な領域を法律などの制度が上書きしてゆくことでそうした隙間は失われてゆく。手足の自由を奪われた都市は閉じてゆくしかない。

都市の専門家に言わせれば、ウェスト・サイド・ハイウェイが取り壊しになる以前にそのすぐ隣にワールド・トレード・センターが完成 (1973年) したことがその後のニューヨークをすでに予見していたということなのだろう。それともニュージャージー出身の押し売り以外に能のない女 (「スミサリーンズ」) を主人公にした後に、イースト・ヴィレッジのアパートの隣人だった無名のマドンナを起用し (「マドンナのスーザンを探して」)、そして1990年代にはやはりニューヨークにやってきた女を扱うものの「セックス・アンド・ザ・シティ」へと足を移してゆく監督スーザン・シーデルマンの移動そのものがこの都市の軌道を示唆しているというべきなのか。なにしろリチャード・ヘルよりも投資銀行に勤める会社員がクールになってしまうのだから、ジェントリフィケーションはこの都市のランドスケープよりもここに住む者のマインドセットになにより深く侵食している。

5.

そうであれば都市が企業化するのも当然のこと。むしろ人はそれを求めているとさえ言えないか。企業のように経営した結果ニューヨークは望み通りに優良企業へと転身を遂げた。周囲の動向をくまなく見回して当たり障りなく売れる商品を絶えず投入し、株主に求められた利益をきっちり予想通りに捻出する小利口な企業に、足を踏みはずすラグジュアリーは許されない。

なにやら楽しそうでいながらどこか窮屈で息苦しく、新しさを装ってすり寄ってくるその笑顔の向こうに見え隠れするうんざりするほどの保守性。二番煎じ、三番煎じのものにマネーを投じて一生懸命流行らそうとしていることが素直に流行り、誰もが同じことを自分で考えついたかのように常に口にして、教科書やテクニカルな方法論には小賢しく長けている。「よくできたね、よしよし」と褒められて喜んでしまうようなところになり果てた以上、多少鼻が利く者なら都市の外へと向かうのも当然のこと。マネーはいよいよ回り、都市は調子よくダメになっていく。

都市は変わりゆくもの、変わることこそが都市とさえ言える。そうだとすれば、昔のニューヨークをふりかえることなど屈折した懐古趣味にすぎないのではないか。もちろん1980年代のニューヨークは目指すべきモデルではない。退屈でも機能していればいいではないか、他に選択肢はないのだし。そうかもしれない。いやそれでも違う、これは都市ではない。

こうした方がいい、あの人はこうしていると、求めてもいないアドヴァイスがあちこちから飛んでくる。ありがとう、でも放っておいてくれないか。人口減が退屈な成長の終わりを示しているのだしたら本当によかった。人が減り、ほんの少しできた隙間をどのように使おうか。

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