観光、フライト、コモディティ化

ただでさえ人が多いこの都市に、あたかもまだ人が足りないとでもいうように、毎日観光客が大挙して押し寄せる。2017年にニューヨーク市を訪れた人の数は6,280万人に達し、その数は7年連続で過去最高記録を更新した。トランプ大統領のアメリカ・ファーストのレトリックも、特定の国からの入国を禁止する大統領令も、観光客に二の足を踏ませるには至らなかったということらしい。平均すると約17万人が毎日ニューヨークに降り立っていることになり、その多くは市内に数日間滞在する。860万人の人口の都市にしてはずいぶん多くの訪問客を受け入れていることになる。

20年前の3,300万人、2010年の4,880万人と比べても大変な膨張ぶりだ。歩道や地下鉄は一層混雑し、住民は観光客が多すぎると文句を言うものの、市にとってはマネーをもたらしてくれる大事なお客様。マネーを落としていくだけでなく、雇用ももたらしてくれる観光客は市の経済には欠かせない。ニューヨーク市内で観光に直結する仕事に就いている人の数はいまや29万人を上回り、その雇用数は金融を超えて市の経済を牽引する急成長産業の地位を得た。観光に関連するサービス業は、知識経済化が進むニューヨークにあって低スキルの労働者に雇用機会を与える数少ない職種でもある。

観光客の恩恵に与るのはタイムズ・スクエアや自由の女神などのランドマークだけではない。調査によると、市内の全レストランとバーでのカード支払の24%はニューヨーク都市圏以外に住む人によるもので、市内小売店でのカード支払の5分の1、百貨店でのカード支払の48%は観光客によるものだという。メイシーズなど店舗閉鎖が相次ぎ、その凋落ぶりが深まる小売にとって、観光客は頼みの綱というわけだ。そしてMoMAの来館者の73%、ホイットニー・ミュージアムの70%、メトロポリタン美術館の60%は観光客が占めている。こうしたレストラン、小売店、文化施設は上記29万人の雇用数には含まれていない。市の集客キャンペーンが過熱する理由は容易に理解できる。

ニューヨーク市は市を訪れる人の目標値を毎年ひき上げ、市の観光マーケティングを担うNYC & カンパニーを通じてあれこれマーケティング策を打ち出すのに忙しい。集客に熱心なのはニューヨークだけではなく、観光客を少しでも多く取り込もうと世界の都市が鎬を削っている。

1.

ニューヨーク・タイムズは、毎年1月に「今年行くべき52の場所」を発表している。2018年の1月には、今年のうちに訪れることを推奨する52ヶ所として、ニューオーリンズ (#1) やスコットランドのグラスゴー (#10)、ノルウェイのオスロ (#26) など、国内外の注目される場所を発表した。2017年に1月に発表された時には、ニューヨーク市のサウス・ブロンクスがそのリストに入っていた (#51) ことが話題になった。かつての犯罪のイメージを払拭しつつ、デベロパーの食指も動き始め、2017年の市内での家賃上昇率の上位をブロンクスが占めたことを考えれば、2017年の注目株としてサウス・ブロンクスを早々に推したニューヨーク・タイムズのガイドには先見の明を認めるべきなのかもしれない。

ニューヨーク・タイムズだけでなく、多くの旅行ガイドが注目の都市を毎年紹介していて、そうしたガイドの類は休暇先を選ぶ旅行者に大きな影響を与える。そう考えると、ニューヨーク・タイムズがとりあげたことからブロンクスを訪れる人が増えたのかもしれず、ニューヨーク・タイムズが長けているのは先を見る目というよりも自身の見通しの自己実現力というべきなのかもしれない。その「今年行くべき52の場所」を選定する際の基準のひとつは、新しいミュージアムや公園などの完成があるかどうかだ。一度行った場所をもう一度訪れるには、以前なかったものが追加されていなければいけない。とはいえこの選定基準に従えば、新しい建造物があればガイドにとりあげられることになり、延いてはなにか新しいものを建てれば人がやってくるはずだという転倒も起こりうる。

1997年にグッゲンハイムがオープンしたことで、衰退していた工業都市のビルバオに多くの観光客がやってくるようになり市が復活したとビルバオ効果が喧伝された。スター・アーキテクトを使ってミュージアムをつくれば世界の観光マップのレーダーに入る。オープンから20年以上が経過した今も、そのフォーミュラは世界中でコピーされている。なかにはビルバオのグッゲンハイムとまったく同じ建物を建てることを望む市長もいるという。スペクタクルを競うようにあちこちにメガ・プロジェクトが乱立し、ミュージアムは都市のマーケティング・ツールとなり、アーキテクチャは観光を支える装飾とでもいう有様だ。なるほど人目をひく建物はロゴや土産物には都合がいい。今日のミュージアムはマス・メディアだという指摘も肯ける。

集客の秘訣を知り得たというわけか、このゲームに飛び込むプレーヤーが後を絶たない。とはいえそこで大きな利益を手にするのは最初にゲームのルールを築いたごく一部のプレーヤーだけで、多くのプレーヤーが後を追い群がるのはそのゲームが飽和した頃と相場が決まっている。成功事例とされるものをマネしても早晩飽和するだけ、人を集めるには他にはない特徴のあるユニークな都市を独自に育てる必要があると言う人もいるものの、短期的に結果を求められる集客競争の渦中で賛同を得ることは期待できそうになく、世界の都市はグローバルな文化ツーリズム・クラブの入会権を得ることに汲々としている。批判的に言及されることも多いビルバオ効果だが、その後に模倣が続いていなければ今日どう評価されていただろうかと考えてみるのも無意味ではないかもしれない。

2.

観光客の爆発的増加は都市を変えずにはいない。大きなキャリー・ケースを引いて歩く人たちの姿が都市の風景の一部になり、airbnbを利用する見知らぬ旅行客がアパートの建物に常に出入りする。

都市に観光客は必要だ。観光の存在そのものは問題ではないのだろう。問題があるとすれば、都市に占める観光の比重が過大に膨張し、それがもたらす恩恵と弊害との折り合いをつけることが不可能な地点にまで達していることだ。それは世界の観光先進都市で顕著に現れていて、多くの都市が対処策を実施し始めている。

  • 1980年に12万人だった人口が6万人へと大きく減少しているヴェネツィアには、毎日8万人の観光客が押し寄せる。ヴェネツィアは観光客の数に上限を設定することを検討している。
  • アムステルダムは中心部の歴史的地区内での観光客向けの店舗数を限定し、同様に新店舗のオープンを禁止している。中心部の店舗が観光客向けのものばかりになり、住民が利用できる場所が減っていることから、住民に魅力的で住みやすい場所を維持する施策を打ち出している。
  • リスボンには一年に6百万人の観光客が訪れる。経済危機に見舞われたポルトガルにとって観光は貴重な収入源であり、その経済の多くは観光に関係している。その一方で、本人はポルトガルを離れて国外に住みつつ、リスボンのアパートを観光客に貸す人が増えている。住民が姿を消し観光客ばかりの場所と化す、都市の消滅が懸念されている。
  • 多すぎる観光客が失業に次ぐ深刻な問題のバルセロナでは、住民が観光客への反対運動を続けている。数千人が住む旧市街地のランブラス通りには毎年数百万人の観光客がやってくる。市長はバルセロナを住民に取り戻すことを約束し、許可なくアパートを観光客に短期貸しすることを厳しく取り締まり、観光客向けの宿泊施設の数を制限する法律を承認した。

観光客の行き先を分散化することに努める都市は多い。市は観光客を増やしたいものの、たとえばエンパイア・ステート・ビルの収容人数には限りがある。少し前にニューヨーク市がブルックリンを熱心に売り込み、その後もマンハッタン北部のワシントン・ハイツなど、従来観光客が足を踏み入れなかったネイバーフッドをプロモーションしていることの背後には実利的な理由が控えている。ミュンヘンは観光客が特定の場所に集中しないように都市周辺の山をマーケットし、サステイナブルな観光を標榜するヴェネツィアは、観光客に多くの人が行かない場所を訪れることを促進 (“detourism”) し、文字通り寄り道することを推奨している。

とにかく多くの人を集めればよかった時代は終わりを告げている。観光に過度に依存する経済にも不安はつきまとうし、この都市を訪れる人が今後もずっと増え続けると考えられるのか。潮の流れは変わり始めている。

3.

世界中で多くの人が大量に移動している。国外を旅する人の数は、2016年に世界で12億人に達し、2015年と比べて460万人増加した。かつてない多くの人たちが世界中を旅していて、その数は今後も増えることが予想されている。

イギリス国家統計局は、イギリス人の休暇の過ごし方がここ20年で大きく変わったことを発表している。イギリスに住む人が外国で休暇を過ごした日数は、1996年から2016年の間に68%もの大きな増加を示し、一回の休暇の日数も二週間が中心だった20年前から一週間が主流へと変わっている。イギリス人がより多く、より短期の休暇に出かけるようになったことを説明し得る要因として、国家統計局は格安航空会社の誕生を示唆している。この20年間でイギリスの空港を利用した乗客数は85%増加し、欧州で格安航空会社を利用する人たちの半分はそれ以前に飛行機で旅をしていなかった人たちだという。航空運賃が下がったことで国外に行く人が大きく増え、週末を近隣国の都市で過ごすことは手軽で人気の娯楽になった。ロンドンから2時間で着くバルセロナ行きの金曜の夕方のフライトは機内ですでにパーティーが始まっている。パリ、バルセロナ、ヴェネツィアは相変わらず人気の目的地だ。より短期間でより頻繁に国外の休暇へと出かけ、その行き先がさほど変わっていないとしたら、人気の観光地の負担が大きくなるのも当然だ。

誰もが手頃に旅行できるようになり、かつてない多くの人たちが移動している。大量移動の時代に、人気の高い都市は多くの人がやってくることを手放しで喜ぶことはできなくなった。それぞれの都市が受け入れることができる観光客の数に限度があるとすれば、都市が観光客を選別したとしても不思議ではない。

ロンドンやパリは、従来とは異なるタイプの観光客を集めることに取り組み始めた。低価格なイメージを払拭し、観光収入は一定にしつつ、住民のストレスを軽減することを目的としているといわれる。欧州の他都市もこれに続くところが出てきている。大型バスで乗りつけて、数時間でランドマークを駆け足で回りまたバスに乗り込んで次の都市へと急ぐ観光客や、最低限のマナーや現地の習慣を尊重しない人たちへの風当たりはすでに強く、クオリティの低い観光客には来てもらわなくて結構だと明言し、賢い観光客にだけ訪れてもらいたいことをはっきりと述べる都市も出てきている。何人が訪れたのか —– その数字は必ずしも集客を考える上での最重要にメトリクスではなくなっている。

パリやニューヨークは長く滞在することを促すキャンペーンを打ち、リピーターを集めることに注力している。初めてパリにやってきて2日間滞在するとすればエッフェル塔には行くだろうが、パリに2週間いるからといってエッフェル塔に14回行きはしない。量から質へとシフトする集客ゲームでは、都市が観光客を選ぶ立場に立つことになる。人気の都市では誰もがお客様として歓迎されるわけではなくなり、観光へのアプローチにおいても都市間の階層が生まれつつあるのかもしれない。

4.

2017年11月7日、ユナイテッド航空は、アメリカ国内線として最後のB747機のフライトを、サンフランシスコ空港からホノルル空港まで飛んだ。フライト番号はもちろんUA747。B747機の引退を記念して、フライト・アテンダントはB747機導入時の1970年当時のユナイテッド航空の制服を着て乗り込んだ。ユナイテッド航空が最初にB747機を飛ばせたのは、1970年のやはりサンフランシスコ空港からホノルル空港までの便。ピーク時の1993年には同航空会社だけで56機ものB747機を飛ばせたという。

「空の女王」の異名をもち、JGバラードがパルテノン神殿と並ぶ地政学的世界観の具現化と評し、航空産業にひとつの時代を築いたモデルが引退したことになる。その幅広いボディの導入によって、B747機は一度に運ぶことができる乗客数を従来の2倍以上へと飛躍的に増やすことに成功した。規模の経済を活かし、一席あたりのフライトのコストを30%低下させることで、大型化の先鞭を切ったB747機が世界中の人の移動にもたらした影響は計り知れない。それまで世界の最も豊かな者にのみ許された贅沢だった空の旅がより多くの人の手の届くものになり、大陸間の大衆移動時代の幕を開けることになった。

商品が市場に行き渡り、ごくありふれたものになると、流通する商品間の差異は消滅する。どこにでもあるコモディティ (商品) になったその先には、しばしば底の見えない価格競争が待っている。ビジネスの世界ではその過程をコモディティ化と呼んでいる。空の旅ほどここ数十年で急速にコモディティ化が進み、その稀少価値が短期間で地に落ちた例も珍しい。20世紀初めにシカゴからフロリダまでの長距離を旅することは特権的な贅沢だった。移動手段はもっぱら列車に限られていて、高価なうえに、移動には長い時間を必要とした。今日アメリカの東海岸と西海岸の間はおよそ6時間のフライトで横断することができる。低価格の航空会社の誕生によって、料金はより多くの人が利用可能な水準にまで下がり、大量輸送の世界が実現した。2016年には258万人の乗客が毎日アメリカ国内の空港を離陸・着陸し、そのフライト数は970万件にのぼる。

フライトがコモディティ化したいま、たとえばニューヨークからシカゴまで移動するうえで、所要時間も席のクラスも同じだとすれば、数ある選択肢の中からフライトを選ぶ条件はほぼ価格以外に存在しない。一分一秒の差で変わるフライトの料金をモニターし、低価格の航空チケットを探すサイトが無数に存在することが何よりそれを物語っている。かつて空を飛ぶことはそれ自体を楽しむ贅沢だったというのに、いまでは早く時間が過ぎ去ることを願いながら狭い席で苦痛な時間を過ごす面倒なルーティンになってしまった。

今日シカゴからシアトルまで移動するには、3時間の飛行機で飛ぶよりも、寝台列車で2日間かけて旅をする方が高価な場合が多い。同じ距離をより長い時間をかけて移動する方が高価で贅沢なものへと逆転したのは、フライトのコモディティ化が進んだ結果、長距離を早く移動することの希少性や価値が消滅したためなのだろう。飛行機の窓からは地上に広がる地形や集落が広がるパターンを眺めることができ、時にはオーロラを目にすることさえできるというのに、乗客の多くは窓の外を眺めるどころか、離陸とともにさっさと窓を閉めて眠りにつく。着いた先で多くのタスクが待ち構えているとあっては当然のことだ。空を飛ぶことは目的地に着くための純粋な手段に過ぎず、飛行機の中にいると感じる時間は短ければ短いほどいい。

誰もが低価格で長距離を移動することができるようになったのは良いことなのだろう。そして、旅に限らずコモディティ化が世界の隅々に浸透することで、楽しむことはその言葉の真の意味でのラグジュアリーになるだろう。誰もがほぼ無料で大量の情報を手にすることができて、長距離の移動が可能になり、食料は安価に手に入るようになるものの、それを楽しむことや味わうこと、何かを考えたり、自分で何かを探したり選んだりすることは、多くの人には手の届かない贅沢になるのかもしれない。あまり知られていない映画を観ることはすでに贅沢な娯楽になり、本を一冊最初から最後まで読むことさえ少なくない時間を費やして楽しむ贅沢になりつつある。多くの人にはそんな非効率的で役に立たないことをする余裕はない。誰かが140字以内で要約してくれたものを見ておけばいい。

モノやサービスが全体としてほぼ行き渡り、食べたり寒さ暑さを凌ぐといった商品の一次的な機能はその価値と稀少性を失っている。そうした商品を手に入れることができない人がいるとすれば、その問題は生産ではなく分配にあるはずだ。モノが売れなくなったといわれるが、それは不況のせいなのだろうか。多くのビジネスが商品の一次的な機能よりも、それに付随する体験を売ることに勤しんでいるのは、私たちの生活に必要な商品のコモディティ化はほぼ達成していて、それが世界の隅々にまでいよいよ行き渡りつつあることへの応答なのかもしれない。