スプレッドのアーキテクチャ

ニュージャージーで金融市場に参加する者は、相場と同じぐらい天気予報に注意した方がいい。雨が降ればチャンスだ。

1.

米国の株式取引の過半数を占めるといわれる高頻度取引 (HFT) はレイテンシをめぐる争いだ。取引所などとデータをやりとりするスピードが焦点になる。

数年前まではHFTを支えるインフラは光ファイバーが中心だった。最近はワイヤレスへのシフトが加速している。

光ファイバーは地下に埋める必要があり、川や山がケーブルの行く手を邪魔する。誰かがあやまって地中のケーブルを掘りおこしてしまうこともある。

上空には障害物はない。2つの地点を地球の表面上最短で結ぶルートを測地線という。ワイヤレスなら測地線に沿ってデータを伝送することが可能だ。

マイクロ波やミリ波、そしてレーザーといったワイヤレスへのシフトが進むとともに、世界各地で高層のタワーがにわかに注目を集めている。信号の中継地が必要なためだ。

2.

HFTのネットワークについては人類学者のブログから多くを学ぶことができる。欧州を中心としたリサーチの深度とストーリーの奥行きが多くの読者を集めている。

このブログの興味深い点のひとつは、ブリュッセルに住む人が運営していることだ。

ブリュッセルは金融都市として知られてはいない。ロンドンとフランクフルトという欧州の2大金融都市の間にたまたま位置するため、この小国を信号が通過することになる。

2014年7月、ベルギーのフュールヌで高さ243mのタワーが3時間半におよぶ競売の結果、5百万ユーロで落札された。

落札したジャンプ・トレーディング社はHFTのインフラを構築するビジネスだ。

米空軍が利用していたマイクロ波のタワーだが、2006年に同軍がファイバーに切り替えたのを機に手放したものだ。

欧州では20世紀後半に米軍やNATOが多くのタワーを建てている。そのタワーがHFTに転用されている。ベルギーの裏庭にもHFTはしのびよりつつある。

3.

マイクロ波のネットワークを構築するヴィジラント・グローバル社は、英国東部のドーバーに近い町でエッフェル搭よりも高い320mのタワーを建設しようとしている。

地球の曲率を考慮すると、大陸側にあるタワーと英国のその町を直線で結ぶにはそれだけの高さが必要になるという。タワーは高ければ高いほどいい。

MastIntegratedタワーの設置にその町が選ばれたのは、ロンドンの西のスロウに所在するデータセンターからフランクフルトまでの直線上に位置し、海峡の近くにあるためだ。

測地線に沿うことで、フランクフルトとスロウの間は、既存のネットワークよりも数kmの距離と数マイクロ秒の時間が短縮されることになる。

HFTがミリ秒 (1000分の1秒) を競ったのは昔のこと。いまやマイクロ秒 (100万分の1秒)、そしてナノ秒 (10億分の1秒) の差が現実的な視野に入ってきている。

英国のやはりドーバー近くのスウィンゲートにもかつて米空軍が利用したタワー群がある。所有する企業はタワー群の利用をHFT向けにシフトしているといわれる。

4.

データセンターは都市の周縁部にあることが多い。ニューヨーク圏も例外ではない。

米国のHFTのメッカはニュージャージーだ。主要取引所のデータセンターはマンハッタンからハドソン川を隔てたニュージャージーに集中している。

ニューヨーク証券取引所 (NYSE) のデータセンターはニュージャージー北部のマフワにある。

マフワは先住民の言葉で「出合いの場」を意味する。取引所のデータセンターにとってこれ以上ふさわしい場所はない。

米国で最も重要なデータセンターともいわれ、常時厳重な警戒態勢にある。周囲にはタワーが林立している。もちろん他の取引所と高速でデータをやりとりするためだ。

NASDAQは同州南部のカータレットのデータセンターを、ディレクト・エッジ (DE) はシーコーカスのデータセンターをそれぞれ利用している。

マフワとカータレットの間には55km、カータレットとシーコーカスの間には26km、マフワとシーコーカスの間には34kmの距離がある。

5.

2013年にロンドンとフランクフルトの間にレーザー網を設けたアノーヴァ社は、ニュージャージーのNYSEとNASDAQの間にも同様のネットワークを設置した。

それによって両取引所間の55kmの距離を数ナノ秒短縮することに成功した。

HFTにとって数ナノ秒の差は数百万ドルの利益に結びつく。同社がインフラ構築に必要とした数百万ドルのコストは十分正当化できる。

毎週のようにHFT周辺ビジネスがレイテンシ記録の更新を主張している。この争いに出口はまだみえそうにない。

競争が進んだことでプライスポイントが下がり、セキュリティを重視する銀行など、HFTではない金融ビジネスも高速のネットワークに興味を示し始めている。

6.

レイテンシをめぐる競争が激化するのにはもっともな理由がある。ニュージャージーの「株の三角地帯」の地理関係は株価に影響をおよぼさずにはいない。

同じ銘柄の株価が取引所間で異なることがある。同じ株の価格がNASDAQよりもNYSEで高ければ、NASDAQで買うと同時にNYSEで同じ株を売れば利益を得ることができる。

レイテンシによる裁定取引だ。取引所間で株価に時差があれば利益のチャンスがある。最近発表された調査結果によると、その機会は決して少なくない。

いずれかの取引所でのビッドの高値とほかの取引所でのオファーの安値を比較して、そこに価格差 (スプレッド) があれば裁定取引の機会があったと考えられる。

2014年の米国内11取引所でのS&P500指数を構成する495銘柄、ラッセル2000指数の46銘柄の実績データを分析した結果、30億ドル相当の裁定取引の機会があったという。

機会の持続時間は0.87秒 (1日ごとの平均の中央値)。ずいぶん大きいことに驚くが、相場が荒れた日の極端な値に影響されているという。

取引所別にみてみると、裁定取引の機会が最も大きいのはNYSEだ。機会の持続時間が一番長いのもNYSEだという。

その理由のひとつとして、NYSEのデータセンターがほかの取引所よりも比較的遠いところにあることが指摘されている。

Arbitrage2

7.

DEのデータセンターがあるシーコーカスは、マフワ (NYSE) とカータレット (NASDAQ) の間に位置する。そのため3取引所の中ではDEが価格形成の中心だと考えられている。

実際に、トレードの意思決定はシーコーカスで行い、そこからマフワとカータレットに注文を出す企業も多い。中間に所在することで少しでも有利になる。

シーコーカス近くのウィーホーケンにもデータセンターがある。

2014年1月のDEとBATSの合併によって両社のオペレーションはDEのシーコーカスに統合されたが、それ以前にはBATSが利用したウィーホーケンもトレードの重要拠点だった。

ウィーホーケンには投資銀行を含む数百の金融ビジネスが所在する。企業自体がデータセンターに近づいてきてもいる。

もっともデータセンターに近づくのは裁定取引にとって最適ではないという考えもある。

裁定取引は必然的に複数の取引所を伴う。複数の取引所とのやりとりが必要だとすれば、レイテンシの観点からすると、2つの取引所の中間地点にサーバを設置する方がいい。

大西洋上でトレードの意思決定がされる日も遠くはないのかもしれない。ロンドンとニュージャージーをワイヤレスで結ぼうとしているビジネスがあるのも事実だ。

8.

電子化し超国籍化した市場はどこからでも取引が可能になった。トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」が実現されるかのようにみえる。

だが世界最大の先物市場シカゴ・マーカンタイル取引所 (CME) の自動化の経緯を追いかけたドナルド・マッケンジーは異なる見方を提示している。

自動化の過程で物理的な近接性が求められるようになり、取引の場所はむしろ限定されてきた。場所の重要性はより高まることになった。

取引所のデータセンターが離れているかぎり、少なくとも理論的にはスプレッドは必ず存在しうる。HFTに存在理由を与えているのは、ほかでもない取引所の場所だ。

そのゲームに生き残るには速いだけでは十分ではない。より速くなり続けなければならない。

9.

レイテンシに影響するのは場所だけではない。地形も影響する。海抜が大きく異なる地点に立つタワー間は最短距離にはなりえない。

天候も影響する。ロンドンやニュージャージー内の近距離のやりとりにはミリ波が多く利用されている。ミリ波は雨に弱く、レーザーは霧に弱い。

マッケンジーによると、ロンドンの雨とニュージャージーの雨はちがう。ロンドンの方が雨粒の平均が小さい。ロンドンの霧雨はミリ波に有利だが、レーザーは不利になりうる。

「ニュージャージーで雨が降るとスプレッドが大きくなる」。今日の相場のアヤは思いがけないところから生まれるようだ。

私たちには知覚さえできない短時間を競うようになればなるほど、自然の微細な条件や地形のいたずらが価格形成に影を落とすようになる。

前景に現れてくるのは普遍性よりもむしろ固有性や特殊性だ。

もちろんビジネスはそれを乗り越えようとする。レーザーとミリ波の両方を併用することで、アノーヴァ社は自社のネットワークが荒天に影響されないと主張している。

10.

わずかな差を追い求めることに関するかぎり、いまも昔も市場は変わらない。

取引所の立会所に人が集まり手で取引をしていた時代には、背の高い者の方が目につきやすく取引に有利だった。そこでバスケットボールの選手を雇うようになった。

ヒールの高い靴を履いて立会所に現れる者も出てきたため、1990年代末にCMEは立会所では靴底は2インチ以内と規定することになったとマッケンジーはいう。

HFTは滑稽なまでに特異な世界にみえる。もっとも「スプレッド」を追い求め、つくりだすことと考えてみれば、それはビジネスに普遍的なゲームのルールにみえなくもない。

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  1. Pingback: 窓のないタワーの住人 | Follow the accident. Fear the set plan.

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