移動する人、同期する都市: ギリシャとイスラエルから

真夜中のアテネに着いて、翌日の夜明け前にギリシャ北西部のピンドス山脈に向かう。

ピンドス山脈はアルバニアとの国境近くからペロポネソス半島にかけて、南北に160km連なる山脈だ。

標高2600mに達するところもあり、一部には雪が残っている。

風力発電のスタディを行っている友人が、山頂のタービン設置候補地を調査するというので同乗して手伝うことにした。

アテネから自動車で5時間近くかけて350km走ると、目的の山の麓に着く。

ギリシャ軍は国土の状態を把握しているはずだが、ほとんど人が住んでいない山間部のためか山中のマップは存在しない。

グーグルアースにプログラムを書いた位置確認用のマップと、トポロジストがこのプロジェクトのために上空から撮影した写真を交互に参照する。

さらにハンドヘルドのGPSで場所の確認を続けながら、山中の獣道をジープで走り続け、走ったルートのトポグラフィーを記録していく。

goat2日間山中を走り続けた道中で人間の姿を目にしたのは数回だけ。

山の道をたどっていくと、何度も急な谷へと導かれる。

同じにしか見えない谷の風景がくり返し現れて、ぐるぐると同じところを回っているような錯覚におそわれる。

谷ではヤギの放牧が行われていた。夏になるとより過ごしやすい気候の山頂に向けて家畜を連れて移動するが、それまでは谷にいるのだという。

放牧をしていたのはカンボジアからの移民だ。

山間部の貧しい地域だが、それでもギリシャ人は家畜を扱う仕事を敬遠するため移民がその労働を担う。

移民も状況に応じて刻々と変わっていく。

ギリシャが経済危機に陥れば、それまでいた移民は去っていき、経済的により厳しい状況の国から別の移民がやってくる。

移民の世界経済に対する感応度とモビリティの高さは驚くばかりだ。

ほとんど人が住んでいないギリシャの辺鄙な山のなかにも、グローバルな経済が貫いている。

1.

inn初日のタスクを終えて山麓の小さな集落に出た。

プロジェクトのメンバーが定宿にしているこのあたりで唯一の宿泊所に着くと、宿のオーナーが「一番いい」という部屋を私にわりあててくれた。

部屋は気に入ったかと聞くので、こじんまりして清潔ないい部屋だと答えたら、「(この宿を) 買わないか」と即座に彼はいった。

宿泊所の隣には、近くのレストランが野菜をつくっている畑がある。ほぼ自給自足のようだ。

食事できるところはかぎられている。そのひとつの店で私たちが食事していると、夜が更けるにつれて人が集まってきた。

アンゲロプロスの映画のように動きの少ない男たちだ。じっと固まったように座って酒をすするか、煙草をふかしながらカードを続ける。

彼らは毎晩ここで時間をつぶしているという。酒を頼むが誰も支払いはしない。ツケで飲んで、月に一度年金の支給を受け取ったら、そこからレストランに支払いをする。

客は全員男だ。この集落には女性がほとんどいない。ほとんどが独身で、女性を求めてほかの街へと引っ越す人も多い。

なんとか相手をみつけようと、それほど遠く離れていないアルバニアから女性を (合法的に) つれてくる試みを続けている。

アルバニアの女性は家畜を扱う仕事や重労働を厭わないという。これまで2組の成功例があるそうだ。

ニューヨークやロンドンなどグローバル都市間だけが国際取引ではない。ローカルなレベルにも国際的な取引や人の移動は生じている。それはしばしば国境の近くで起きる。

2.

2日間で1200km走り、アテネに戻る。

1年8ヶ月ぶりのアテネ。危機によって家賃水準が大幅に下落したことも手伝って、新しい店舗がいくつもオープンしていた。

アテネでは危機の最中に独立系の本屋が多くオープンしたという。

品揃えに特徴のある本屋で、カフェが併設されていることが多い。

意外に思うかもしれないが、米国の都市部では独立系の本屋が増えている。アテネでも同じことが起きていた。

アテネの交通状況は決してよくはない。そのためアテネで自転車に乗る人は少なかった。だがここ数年で自転車に乗る人が増えているという。

バイクショップもオープンし、ギリシャで初めてのクーリエのビジネスが始まった。

ここにもグローバルなトレンドの広まりがみえる。

飲食業はギリシャにとって重要な産業のひとつだ。

カフェはアテネの生活に欠かせない。商談から離婚まで、あらゆる話がカフェで交わされる。

バーは大変な混雑ぶりだ。ナイトライフに関するかぎりアテネは危機から回復したかのようにみえる。

なかでもワインバーがいくつもオープンしていた。

ギリシャでは昔からワインを生産している。食事時にワインはつきものだ。ちっとも新しいものではない。それでも「ワインバー」がほかの都市で広まると、アテネでも流行る。

最近アテネのバーにはヒップスターが出現しているという。「ヒップスター」は今回のアテネで何度も耳にした言葉だ。

「ニューヨークやロンドンで流行ったものが10年後にアテネで流行る」—。自嘲気味に友人は言った。

ニューヨークとアテネの間にはトレンドに時差がある。とはいえアテネは世界の都市と同じ方向を追いかけている。

ニューヨークとアテネの差よりも、アテネとギリシャ国内のほかの地域との差の方がはるかに大きい。

3.

建築家の知人が見せたいところがあるといって、1年ほど前にアテネの中心地にオープンしたというレストランに連れていってくれた。

使われていなかった建物をレストランにしたもので、深夜になると店内に入ることさえできないほどの人気だという。

手がけた建築家はアテネでいま一番人気があるそうだ。その建築家本人も紹介してくれた。

ニューヨークでトレーニングを受けたと彼はいったが、そのレストランをみればそれは明らかだ。

そこにはずいぶん前からニューヨークで蔓延している「フォーミュラ (図式)」がある。

ニューヨークでは同じようなつくりのレストランが続々とオープンしている。

マンハッタンを中心に、ガラス張りのコンドミニアムが次々とコピーされているさまと似ている。

あちこちで使い回しされているコピーに面白さもオリジナリティもないが、フォーミュラに従っていれば「イン」とみられるのか、客には困らないようだ。

そうしたレストランには同じような格好の人たちが集まり、同じような話をしている。ニューヨークがつまらなくなったといわれるのには理由がある。

アテネでは彼がそのフォーミュラを取り入れた最初のケースだったようだ。アテネにはトレンドだけでなくフォーミュラも伝わっていた。

4.

アテネから飛んでテルアビブに着く。

テルアビブには多くのバウハウス建築が現存している。ドイツで学んだ人たちがこの地に移り住み、その手法をもちこんだ。

ロスチャイルド通りを中心に、イスラエルの気候に適応させる試みがうかがえる建築物が残っている。

人の移動とともに、手法やフォームが伝わる。

テルアビブの人口は40万人。イスラエルの多くのビジネスがここに存在し、テクノロジー企業も多い。

高層ビル、よくできた公園、ミュージアム、バイクシェア、バイクレーン—。

テルアビブには世界の都市に共通するものが多くある。

リチャード・フロリダなら、彼のいうクリエイティブな都市に必要な条件がそろっているというのだろう。

だが私にはテルアビブに都市を感じなかった。

清潔だが生活を感じさせない。歩いてもネイバーフッドの特徴をつかむことができない奇妙なところだ。

バーやレストランは多い。南よりのネーヴ・ツェディクは新しいレストランが次々とオープンしている地区だ。そのレストランの多くには例のフォーミュラがはっきりとみえた。

テルアビブはアテネよりも、トレンドやフォーミュラとの距離が近いようだ。

テルアビブはアートも盛んだとガイドブックには書いてある。ミュージアムやコンサートホールは多い。

その一方で、どんな新しいアートがここで生まれているのか、どの地区がアーチストの制作の場所なのか、そうした痕跡をテルアビブの街にみつけることはできなかった。

時間がなかったためかもしれない。

「アートの都市」とよく耳にする。アートが生まれるところというよりも、アートを売るところを意味することが多い。

アートを集めて集客する。ビルバオのグッゲンハイム美術館が完成したのが1997年。そのフォーミュラはいまだに世界中でコピーされている。

5.

テルアビブから列車でエルサレムに着く。

人口60万人のエルサレムはイスラエル最大の都市だ。テルアビブとエルサレムは50kmしか離れていない。バスなら40分で移動できる。

エルサレムには高層ビルはない。バイクシェアもバイクレーンもない。

都市を魅力的にするといわれるアメニティはきわめて限定的だ。

エルサレムには「多様性」と簡単に口に出すことを許さない、固有の複雑さと困難な問題がある。

あちこちに機関銃を抱えた兵士がいることも、世界のほかの都市にはみられない様相だ。

それにもかかわらず、エルサレムにはテルアビブにはない都市を感じることができる。

エルサレムのバーで隣に座った人が、彼女の友人が経営しているカフェを紹介してくれた。そのカフェで話した人は、路上で人と知り合うのがエルサレムだと教えてくれた。

米国ではアメニティなどを求めて都市の中心に住むことを選ぶ人が増えていることが指摘されている。

そのためか、アメニティを増やせば人が集まると考える人もいるようだ。

才能を集めるための競争は激化し、各都市は積極的なマーケティングを行っている。その際に、アメニティの充実ぶりをアピールする都市は多い。

もっともそこには「サイエンスパークをつくれば、企業が集まりイノベーションが生まれる」というずいぶん前に広まった考えと似たところがある。

こうした考えに対して、シンギュラリティ大学のヴィヴェク・ワドワのように、互いに無関係な研究やビジネスをつなぎ合わせていく人こそがカギを握ると考える人もいる。

場所や設備を整えるだけでは何も起こらない。人と人の作用にこそ都市の力があるとはいいえないだろうか。

なにがエルサレムを都市にしていて、テルアビブにはなにが欠けているんだろう。

テルアビブは20世紀初めに砂漠だった場所につくられた。

「生成する都市」と「建設された都市」の由来のちがいに関係しているんだろうか。

バイクレーンやバイクシェアがあれば、そこは魅力ある都市なんだろうか。

多くの疑問をもって初めてのイスラエルを訪れた。数日の滞在の後、やってきたときよりも多くの疑問をかかえて私はイスラエルを離れることになった。

Advertisements
This entry was posted in Uncategorized and tagged , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , . Bookmark the permalink.

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s