都市への反転がいよいよ始まる

彼女は私のことを「ベスト・フレンド」と呼んでいる。

よっぽど友人がいないのかと心配したが、彼女が転機を迎えるたびに、どうやら私は彼女の話相手になっていたようだ。

その彼女が、新たな転機を迎えた。初めての子供が近く生まれるという。

米国では「ベビー・シャワー」とよばれる出産前祝いの習慣がある。そのお祝いに私も招待された。ベスト・フレンドとしては、顔を出さないわけにはいかない。

ウォール街のさらに南、マンハッタンの南端のコンドミニアムに、彼女はパートナーと暮らしている。

南には自由の女神、東にブルックリンを一望できる最上階のペントハウスに友人たちが集まり、もうすぐ誕生する子供と、もうすぐ誕生する新米の親たちを祝った。

数日後、そのことをある知人に話したところ、「(彼らが住む地域を指して) あんなところで子供を育てるなんてどうかしてる」とその人は言った。

1.

彼らが子供を育てようとしているのは「FiDi (Financial Districtの略)」という地域だ。

文字通り金融街。ウォール街のある地域だ。

彼女が住むコンドミニアムのすぐ近くには、私も仕事で何度も足を運んだ、大手の法律事務所がオフィスを構えている。

フリーダム・タワーの建設が進んでいるグラウンド・ゼロも近くにあり、多くの人がせわしなく行き交う。

なるほどウォール街で子育てをするといえば、それは「どうかしている」のかもしれない。

かつてのFiDiは、大小さまざまな金融業がオフィスを構える場所で、とても住むところではなかった。

いまから10年ほど前に、私はウォール街で働いていた。

週末にオフィスに行くことがあると、一帯が死んだように活気がなかったことを覚えている。

2.

ところが、ここ10年ほどの間に、FiDiは大きく変わった。

2001年以前には1.5-2万人だった住人の数は、2008年には5.6万人にまで増えた。

2001年の同時多発テロで壊滅的な打撃を受けた地域が、短期間で4-5万人も住民数を増やしたのだ。

私のベスト・フレンドは、そのうちの1人ということになる。

同地域では、多くのオフィスがアパートやコンドミニアムに改築された。いまや、ウォール・ストリートの通りに面している建物の多くは上階がアパートだ。

私自身も、ウォール・ストリートの通り沿いに住んでいる人や、アパートを所有している人を何人か知っている。

居住地域としてのFiDiを象徴するのは、2011年に完成したばかりのビークマン・タワーだろう。

フランク・ゲーリーのデザインによる76階建のタワーは、西半球で最も高層の住居棟だ。

3.

FiDiの変容はビジネス面でも進行中だ。

かつては同地域のビジネスといえば、金融とその周辺ビジネスが7割を占めていた。

だが、金融機関の多くが同じマンハッタンのミッドタウンなどに移転するのに伴い、金融業が占める割合は3割近くにまで減少した。

代わりに、デザイン、広告、ソフトウェアなどのビジネスが、FiDiでオフィスを構えるようになった。

私のベスト・フレンドはファッションの世界で仕事をしており、彼女のパートナーはFiDiで建築デザイン事務所を経営している。

彼らが住む場所としてFiDiを選んだのは偶然ではない。

金融ビジネスの場所から、人が住み、働き、そして家族をもつ場所へと、FiDiは変容している。

4.

ウォール街に子供連れの家族が住むなど、少し前までは考えられなかった。だが、都市の中心部に多くの人が移り住んでいるのは、ニューヨークだけではない。

アラン・アーレンハルトは、『Great Inversion and the Future of the American City』において、米国各地で転住パターンに変化が生じていることを指摘している。

都市の中心部には移民や貧困層が住み、郊外には白人を中心とした中産階級が住む。それが従来の人口移動のパターンだった。

米国に着いたばかりの移民たちは、都市部に住みついた。『ゴッドファーザー』など、移民がニューヨークにたどり着き、劣悪な環境で生活する物語は数知れない。

そして、大都市で働き、蓄えをつくった移民たちは、より良い住環境の郊外へと移り住んでいった。

都市は貧困層の受け入れ口でもあった。スラムがそのいい例だ。

5.

だが、20世紀を通じて観察されたこうしたパターンが、いま反転しつつある。

近年の移民は、米国に移住するときから、都市部ではなく郊外で生活を始める。また、貧困層やアフリカ系米国人の多くが、都市部から郊外に流出している。

一方、高い教育を受けた層や、若い世代は、郊外を後にして、都心のビジネス街など中心地に住むことを選んでいる。

経済的に余裕のある層は、もう郊外に一軒家を買ったりはしない。都市の中心部に住み、歩いて仕事に行くのだ。

都心の生活コストは高い。それでも、仕事場へのアクセス、より良いチャンスの可能性、人的ネットワーク、娯楽などを求めるならば、おのずと都心を選ぶことになる。

都市と郊外が反転しはじめた。多くの人が、都市へと向かっている。

6.

このところ、人口統計の解釈をめぐる議論がさかんだ。

2012年6月に発表された米国国勢調査局の試算によると、米国の都市部の人口の成長率が、郊外の成長率を上回ったと報告された

歴史的な転換期がおとずれたようだ。過去何10年間も続いた都市から郊外への人口流出がついに反転したのだ。

「都市の時代がやってきた」と多くのメディアがとりあげた。都市論者たちは歓喜したに違いない。アーレンハルトの主張も統計的に裏付けられたとことになる。

だが、世論調査に精通する者のなかには、発表された試算の結果からは、必ずしも都市と郊外の人口成長率が反転したとはいえないと、慎重な見方を示す者もいる。

統計試算の解釈をめぐるテクニカルな議論に深入りするのはやめておこう。明らかなのは、人口動態の趨勢が、各方面から注目されているということだ。

どうやら潮流の大きな変わり目にきていることは、間違いないようだ。

7.

なぜいま、こうした変化が米国内で起きているのだろうか。

人口移動にはさまざまな要因が複雑に作用するため、その原因や因果関係を特定することはできない。

FiDiでは、経済的なインセンティブが働いたことは間違いない。

オフィスをアパートに改造すると、オーナーは税制優遇策を享受することができた。

その結果、オフィスから住居用途へのシフトが一気に進んだ。

FiDiは2001年のテロで大きな被害を受けた。そのため、同地域に新しく移り住む人には、家賃補助が与えられた。

同地域では、金融依存からより多様なビジネスへのシフトが進んでいたため、2008年の金融危機後も、地域内のビジネスへの打撃は比較的軽くてすんだ。

一方、移民が郊外を選んでいる背景には、スキルや言語に習熟していない移民が就くことができる仕事は、現在はもっぱら郊外にあるということがある。

こうした経済的な誘因に加えて、アーレンハルトは、「選択による指向性」が大きな役割を果たしていると指摘する。

20世紀の都市は、犯罪の温床のようなものだった。少しでもマシな生活をするには、郊外以外に選択肢はなかった。

結婚して子供ができれば、郊外に引っ越す以外に道はなかった。

いまや都市の環境は改善している。経済的な資源に恵まれた人たちは、都市に住むことを選ぶこともできる。そして実際に、都市を選んでいる。

8.

アーレンハルトの指摘が正しければ、これからさらに多くの人たちが都市の中心部に移り住むことになる。

ニューヨーク市のように、土地が限られた都市では、人口増加への対応は深刻な問題だ。住宅需要への対応を加速する必要がある。

米国では、いたるところで「ジェントリフィケーション」の進行を耳にする。

だが、アーレンハルトは、ジェントリフィケーションを、それ自体完結したひとつの問題として議論することに批判的だ。

たとえばニューヨーク市のブルックリンでも、新しい住民たちが流入し、従来のコミュニティが一掃されることがある。

しかし、ブルックリンだけを見ていても、その変化を本当に理解することはできない。

ジェントリフィケーションは、都市部と郊外の間に生じている、よりダイナミックな人口移動の一部として考えるべきだとアーレンハルトは考える。

9.

ベビー・シャワーから一週間ほどしたある日、ベスト・フレンドから、無事に女の子が生まれたと手紙が届いた。その子は私と同じ誕生日に生まれたそうだ。

FiDiの住民数がまた1人増えた。

FiDiで子供を育てる彼女は「どうかしている」わけではない。むしろ、新しいFiDiの典型的な例といえるだろう。

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8 Responses to 都市への反転がいよいよ始まる

  1. ys347 says:

    FiDiの住民数について、本文で、「2001年以前には1.5-2万人だった住人の数は、2008年には5.6万人にまで増えた。」と書きましたが、正確ではなかったようなので修正します。

    ニューヨーク市が公表している世論調査結果 (http://gis.nyc.gov/census/) によると、FiDiに相当する地域 (Battery Park City-Lower Manhattan) の人口は、2000年時点で約2万人、2010年時点で約4万人です。10年間で倍増したことになります。

    また、同地域の世帯数は、2000年時点で約1万世帯だったのが、2010年時点では約2万世帯に倍増しています。

    年齢別にみると、2000年から2010年の間に、5歳未満が53%増加、20代から30代の住民が増加しています。

    なお、本文に表記した住民数は、ウィキペディアから引用しました。

  2. Gen says:

    FiDiに人が増えた最大の理由は隣接するTriBeCaと比べて半額の不動産価格でしょう。90番街以南では今じゃ一番安いんじゃないかな?

  3. Gen says:

    マクロ面で都市部への人口回帰が確認出来ないのは、都市部では住宅ストックを増やすのに限定があるからですね。何が起こっているかというと、大卒以上の高学歴層が古くからの住人を追い出す図式です。米、郡別大卒人口増加(00年→09年) http://bit.ly/ewQkH3 表2参照。1位マンハッタン:17万人、2位ブルックリン:16万人、3位クイーンズ10万人、4位SF:7万人、5位DC:6万人 高所得者層の街中回帰、高学歴が低学歴を追い出す。

    • ys347 says:

      コメントありがとうございます。

      FiDiの人口増加について、不動産価格は大きな要因だと思います。各種補助など考えればかなり割安です。

      人口統計の変化は、「白人化」などでも明らかですね。白人化が急速に進行している地域にブルックリンの地域がいくつも入っています。

      ジェントリフィケーションについてですが、既存の住人が追い出されると言われるのですが、追い出された人たちがどこに行っているのか、それがどうもよくわかりません。ニューヨーク市からはハドソンバレーなどに流れているという話を聞いたりもしますが、定量的にはわかりません。

      『Great Inversion』は、ジェントリフィケーションを都市部の人口動態としてだけではなく、都市部と郊外のより大きなピクチャーの中に位置づけようとしているのが新鮮でした。まあ、ひっくり返して逆からみただけじゃないか、と言えばそれまでなのですが。

      ジェントリフィケーションについては、近年いろいろ違った研究も出てきているようなので、チャンスがあればメモしてみたいと思います。

      いろいろご指摘ありがとうございます!気づいた点などあればまたよろしくお願いします。

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  5. ys347 says:

    先月発表された国勢調査によると、2000年から2010年の間、マンハッタンの南に位置するシティー・ホールから2マイル以内の地域の人口は4万人増加した。

    また、ダウンタウン・アライアンスの調査によると、マンハッタンのダウンタウンから通勤30分内の人口も増えている。

    子供がいても、郊外を避けて都市の中心部に住む傾向が確認されています。

    In and Around Lower Manhattan, Population Growth Since 9/11 (The New York Times)

    http://nyti.ms/ReDWN1

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