統一化しないニューヨークの地下鉄

ニューヨークの地下鉄は、1日あたり5百万人が利用する。

24本の路線が市内468ヶ所の駅を結び、夜を徹して走り続ける。

その複雑な地下鉄網は、迷宮にたとえられることもある。初めて利用する人には、乗り換えも大変だろう。

迷宮のなかを導くのは、地下鉄構内外にあるサイン群 (案内表示) だ。

駅名や路線名など、ニューヨークの地下鉄のサイン・システムに用いられる書体は、ヘルヴェティカで統一されている。

グラフィック・デザイナーのマッシモ・ヴィネッリは、1970年に、ニューヨークの地下鉄の表記デザインを全面的に見直した。

その際に、書体をヘルヴェティカで統一した。

ニューヨークの地下鉄のサインがわかりやすいのは、ひときわクリーンなその書体によるところが大きい。

だが、ひとたび構内に入ると、そこには「統一」とはほど遠い「混沌」が広がっている。

1.

さっそく、地下鉄の構内に入ってみよう。

構内の壁には、セラミックのタイルで駅名が表示されていることが多い。

セラミックを選んだのは、ハインス・アンド・ラファージ建築事務所だ。

ハインスとラファージは、最初の地下鉄が開通する以前の1901年から、構内のデザインに取り組みはじめた。

セラミックを利用したのは、安価で耐久性にすぐれた素材であることと、地下鉄の無骨なイメージを和らげるためだ。

構内の壁には、その駅の場所を象徴するようなイラストをつけ足した駅もある。

漢字で「華」と記された、チャイナタウンのカナル・ストリート駅はその1例だ。

ハインスとラファージのデザインは、駅によって大きく違っている。

それぞれの駅がきわだった特徴をもつようにと、意図して駅ごとに異なるデザインをとりいれた。

ときには、ひとつの駅の中でも、デザインや書体が異なることがある。統一されたデザインのフォーマットは存在しない。

2.

ハインスとラファージの後を継いだ建築家は、スクワイア・ヴィッカーズだ。

ヴィッカーズは、2人の手法をおおむね引き継ぎながらも、彼独自のスタイルを刻みこんでいった。

駅名表示の背景を単色にはせず、同系色の異なる色のタイルをいくつも用いることで、モザイクをとり入れた。

ハインスとラファージは、駅名のまわりを、花などの左右対称なモチーフで装飾した。

それに対して、ヴィッカーズは、デザインに面白味を出すために、あえて不規則なパターンを導入した。

こうしたヴィッカーズのアプローチに、アーツ・アンド・クラフツの影響をみるのは難しくない。

また、ハインスとラファージはサンセリフ (文字のストロークの端の飾りがない) の書体を利用したが、ヴィッカーズは駅名表示にもセリフ体 (飾りがある書体) を多用した。

次にニューヨークの地下鉄の駅に降り立ったときには、壁の駅名表示をよくみてみよう。

その駅に手を入れたのは、ハインスとラファージの2人だろうか。それともヴィッカーズだろうか。

3.

右の写真は、ニューヨークのある駅のものだ。そこでは、アール・デコとヘルヴェティカが共存している。

こんなコラボレーションは、ニューヨーク以外で目にすることはまずないだろう。

ニューヨークの地下鉄には、時代もスタイルも異なる、いくつもの芸術運動が混在している。

構内のデザインが、様々な芸術運動や数々の実験を飲みこみ、変更を重ねることによって変容を遂げたためだ。ヴィッカーズのアーツ・アンド・クラフツもその1つだ。

地下鉄のこうしたデザイン群は、現在ではアートとして認知され、保存の対象になっている。

すでにあるデザインをできるかぎり残すため、修理が必要な場合は、セラミックのタイルを新しいものに取り替えることで、地下鉄の機能を維持している。

4.

ビジネス環境の変化も、デザインに決定的な影響を与えている。

1930年代初めまで、ニューヨークの地下鉄は、IRT (Interborough Rapid Transit) とBMT (Brooklyn-Manhattan Transit) の民営企業2社が運営していた。

1932年には、競争を促すために、市が運営するIND (Independent Subway Systems) が参入した。

地下鉄開発が最もさかんだった時期に、これらの3社は、それぞれ独自の路線網を建設し、そのためにそれぞれ独自の建築家やエンジニアを使った。

ニューヨークの地下鉄構内のつくりやデザインが統一されていないもうひとつの理由だ。

その後、1940年には、市がIRTとBMTを買収し、3社を統合した。

5.

ニューヨークの地下鉄の大部分は、戦前につくられている。だが、その後も、路線網は試行錯誤を経て、変化を続けている。

いくつもの新しい路線案が俎上にのぼった。その多くは、素案の段階から前進することなく消えていった。

計画段階に入り、着工されずに終わった路線があれば、建設にとりかかったものの、財政難によって、完成前に放棄された路線もある (実現しなかった地下鉄の路線図はここでみることができる)。

現在は、「セカンド・アベニュー線」の新設工事が進んでいる。もともとは1929年に提案された古い案だが、着工にこぎつくことができた。2016年の開通を目標としている。

ブルックリンのウィリアムズバーグ、南4丁目通りには、一般には閉ざされたままの地下鉄の駅がある。

駅は完成したものの、ローワー・イースト・サイドのエセックス駅からブルックリンへと向かう分岐路線計画が廃案になったため、一度も利用されることなく閉ざされたままだ。

2010年には、グラフィティのアーチストを集めて、その壁に作品を描かせた。

進化の過程で淘汰される駅もある。

最初の路線が開通した1904年には起点駅だったシティ・ホール駅は、1945年に閉鎖された。

より大きなブルックリン・ブリッジ駅がすぐ隣に完成し、利用客数が伸びなかったためだ。

ホームが大きくカーブしているために、電車の乗車口とホームの間にギャップがあり、安全面も懸念された。

アーチ型の美しい天井でも知られており、ミュージアムとして再利用する計画もあったが、その案も立ち消えになってしまった。

6.

ニューヨークの地下鉄は、先行するパリの地下鉄から多くを学び、継承している。

開通100年を記念して、ニューヨークの地下鉄のデザインを集めた『Subway Style: 100 Years of Architecture & Design in the New York City Subway』の序文は、そのパリについて皮肉たっぷりにこう言っている。

パリの地下鉄は、「ナポレオン的な統一性 (uniformity)」に満ちている。それは、「トップダウンで、政府主導の、官僚が支配するプロジェクト」だ。

もちろん、ニューヨークはそうではないと言いたいのだ。

ニューヨークの地下鉄の歴史には、「マスタープラン」と呼べるものは無いに等しい。

3社の路線は「統合」はされたが、「統一化」はされなかった。その後、あたかも接ぎ木でもするように、いくつもの新路線案が試され、その多くは消えていった。

構内のデザインは、何人ものデザイナーや建築家が、様々なスタイルを取り入れて、すでにそこにあるものに、違った要素を重ねていった。

こうした「インプロビゼーション (即興)」の繰り返しによって、ひとつの街の地下鉄網のなかに、異質なものがひしめき合う結果になった。

ひとつひとつの駅が他との違いを主張し、それぞれの路線がみずからの変容を続ける。

ニューヨークの地下鉄は、いくつもの不連続な出来事や、実験的な試みの結果だ。包括的な計画とはほど遠く、むしろパッチワークに近い。

パリの地下鉄が「統一性」だとすれば、ニューヨークのそれは「断続的なインプロビゼーション」とでもいえるだろう。ちょうどニューヨークの街そのものと同じように。

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