ニューヨークはどのようにして甦ったか

「ニューヨークが強いビジネスは何か?」

友人に聞かれて、私は思いつくままに答えた。

「金融、ファッション、法律サービス、教育、研究開発…」。

いずれもここ数十年の大きな転換期を利用することによって、競争力を増したビジネスだ。

都市は「盛衰 (rise and fall)」する。繁栄した都市も衰退するといわれるが、ニューヨークは「盛衰盛 (rise and fall and rise)」を経験した。

1970年代から1980年代にかけて、ニューヨーク市政府は事実上破綻状態に陥り、多くのビジネスは同市から拠点をひきあげていた。

しかし、その後、ビジネスの中心地として再び甦った。今日に至る再生を担ったのが、これらのビジネスだ。

1.

グローバル化のなかで、ニューヨークのビジネスは、世界市場の「接点」としての役割を担うことで、そのプレゼンスを築いた。

1.1

金融のグローバル化は、世界中の資本市場へのアクセスを可能にした。

それを最大限に利用したウォール街は、国際金融のハブとしての圧倒的な地位を築き、世界中の金融界から投資を呼んだことは、誰もが知っている。

1.2

ニューヨーク市内には、コロンビア大学、ニューヨーク大学などの有名大学に加え、数多くの専門分野に特化した学校がある。

ファッションを目指す人なら、マーク・ジェイコブスからアレクサンダー・ワンまで輩出したパーソンズ・スクール・オブ・デザインへ、音楽であれば、ジュリアード音楽院などへの進学を考えるだろう。

米国の授業料は高い。にもかかわらず、学生は世界中から集まってくる。2010年度にニューヨーク市内の学校に在籍する外国人留学生は6万人を超えた。

留学生が増えているだけではない。大学自身がグローバル化戦略を展開し、海外に分校の設置を進めている。「世界市場」をとりこむことが目的だ。

1.3

「(マンハッタンの) ミッドタウンで石を投げれば、弁護士に当たる」。そう言われるほど、法律事務所が多い。

ミッドタウンの事務所に勤めるある弁護士を、私は知っている。ニューヨークから日本に毎月出張していると、彼は言っていた。

別の弁護士は、数年前にニューヨークから東京に引っ越した。日本には、米国人の彼がひきうけなければならない仕事がたくさんあるという。クライアントの大半は日本企業だ。

金融やビジネスのグローバル化に伴い、法律面での国際的なサポートの必要性は高まる一方だ。とりわけ、多くの金融取引やビジネスが取り交わされるニューヨークのプラクティスの需要は大きい。

1.4

ニューヨーク市には、建築事務所が多く集積している。ダニエル・リベスキンドのような世界的に有名な「スター建築家」のオフィスから、中小の設計事務所までさまざまだ。

今日の建築・プランニング需要のフロンティアは、中国や南米などの新興諸国だ。ニューヨーク市内に大きな建築需要があるわけではない。

ニューヨークのオフィスから、新興国のクライアントにサービスを提供しているのだ。市内に拠点をおく設計事務所にとって、海外ビジネスは不可欠な仕事だ。

近年、建築の学校では中国からの学生が多い。ニューヨークの豊富な建築の歴史とプラクティスを学ぶためにやってくるのだが、卒業後は中国に帰る生徒がほとんだ。「中国の方が仕事があるから」というもっともな理由だ。

2.

金融、教育、法律、建築ビジネスでは、クライアントの所在地はグローバルに拡張を続けている。

だが、サービスを提供するビジネス自体は、ニューヨーク市への集中がいっそう進んでいる。グローバル化は空洞化を招くというが、逆のケースもあるのだ。

ニューヨークが強いビジネスはほかにもある。広告、メディア、アートなどがその例だ。

残念ながら、私はそれらのビジネスに直接関与したことがない。そのため、ここでふれることはできないが、同様の傾向がみられると聞いている。

3.

ニューヨーク市に集中しているのは「知識経済」を担うビジネスだ。金融、教育、建築はその一例にすぎない。

ニューヨークはファッションの街でもある。ニューヨーク発のブランドは数多い。だが、ファッションの世界で突出した都市となったのは、実は比較的最近の話だ。

マンハッタンのミッドタウンの西にかけて、「ガーメント・ディストリクト (衣服の地区)」と呼ばれる地区がある。

そこには、20世紀の前半からファッション関連のビジネスが多く存在していたが、製造が中心だった。

製造業の例にもれず、ここ数十年の間に、アパレル製造関連の仕事は次々と海外に移転した。失った職の数は30万人相当にものぼる。

しかし、ビジネスの重点を製造からデザインへとシフトすることによって、ビジネス環境の変化を克服し、ニューヨークは世界有数のファッション都市へと生まれ変わった。

製造から知識生産への転換だ。

4.

ニューヨーク市には、今でも多くの製造業が存在する。そのビジネス形態も変わりつつあるようだ。

エンパイア・ステート・ビルディングのすぐ近くにあるショールームを、私は訪問したことがある。消費材のメーカーだが、その会社で働くのは、オーナー兼従業員の2人だけだ。

生産は中国に外注し、物流と販売は代理店に任せることで、彼らは製品開発に専念する。2人だけだが、世界中で手広くビジネスを行っている。

このような業態は、知識経済の一部と考えた方がいいだろう。

5.

知識生産や専門的なプラクティスは、特定の「場所」に蓄積するようだ。知識経済を担うビジネスが、ある都市に集中するのも不思議ではない。

ニューヨークには、金融、建築、ファッションなどの分野では、豊富なプラクティスがすでにある。今そこに加わろうとしているのは、テクノロジー・ビジネスだ。

「イノベーション都市」を謳い、ニューヨーク市はスタートアップ・ビジネスへの指向を模索している。大学や研究機関が多いため、その土壌は整っているといえるだろう。

「どんなに低価格でモノやサービスを提供しても、もっと安くする人が必ずいる」。

今日の経済では、価格を競争原理と考えることは難しくなっている。その一方で、イノベーションなどには、プレミアムを払うことを惜しまない。知識経済への傾斜が進んでいる。

今年の年明けに、ブルームバーグ・ニューヨーク市長は新年の抱負を述べた。彼の今年の抱負は、コードを書くことを学ぶことだそうだ。

6.

「ニューヨーク」は、それ自体がひとつのブランドだ。その強いブランド力は、世界中から多くの人を集めることに成功している。

2010年にニューヨーク市を訪れた人の数は4,880万人。世界的な不況にもかかわらず、過去最高記録を更新した。

観光客がニューヨーク市内に落としたお金は315億ドル (2009年)。ニューヨーク市にとって、観光は巨大なビジネスだ。

ニューヨークを訪れるのは観光客だけではない。仕事や夢を求めてやってくる人も多い。あたかも才能と野心があるなら、この街に来なければならないように。

ニューヨーク市の経済転換を支えたのは、豊かな人的資本だ。ここには、世界中から「才能」が集まってくる。

大学や研究機関が多いため、高度な専門知識や特殊なスキルをもつ人材を「インハウス」で育ててもいる。

人材が豊富だと、必然的に競争は激しくなる。だが競争によって、能力はさらに高まる。そうした競争力の高い人材がビジネスを牽引する。

7.

ニューヨーク市のビジネスは、変容を遂げて、復活した。しかし、誰もがハッピーになったわけではない。

経済が、特殊なスキル、知識、プラクティスに基づくものへと向かうとともに、中産階級と呼ばれる層は、事実上消消滅した

その結果、ごくわずかな高所得者層と、大量の超低所得者層への二極化が加速した。

「新自由主義」に支えられた経済転換は、所得格差を急速に拡大した。ニューヨーク市は、世界で最も貧富の差が大きな都市のひとつだ。

アラブ各国のデモや暴動をみて、「不均等な富の分布に対して抗議するなら、なぜニューヨークで暴動が起きないのか」と言う人がいた。

その数ヶ月後、ウォール街が占拠された。米国各地や世界中に広がることになったこのデモが、ニューヨークから始まったことには、それ相当の理由がある。

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