魂が遅れて届けられるとき

いくつもの時間帯を超えて着陸した飛行機を後にして、クラクラする頭で空港から街に向かう。

タクシーの運転手がなじみのない言葉をあやつる。なにかが違う匂いや風景。ここは知らない街だ。

初めて訪れる外国の街に着いたとき、誰もがあの独特の違和感を感じる。世界中のどの街であっても関係ない。

その違和感は、ジェットラグ (時差ぼけ) とともにやってくる。そして、ジェットラグと同じように、しばらくすると消えていく。

1.

ロスト・イン・トランスレーション』は、ジェットラグと違和感の映画だ。

東京に着いた映画スターのボブ (ビル・マーレイ) は、新宿のパークハイアットに滞在している。

日本人ほど何を考えているのかわからない人たちはいない。もはや世界の常識と言っていい。そんな日本人に囲まれての仕事は困惑の連続だ。おまけに通訳は全く役に立たない。

ぐったり疲れてホテルに戻っても、ジェットラグで眠れない。

「自分の人生はこれでいいんだろうか」—。

そんなときには、普段考えもしないことが頭をよぎるものだ。

シャルロット (スカーレット・ヨハンソン) も同じホテルでヒマをもてあましている。ホテルのバーで知り合った2人は、ホテルを抜け出して、夜の東京の街にとびこんでみる。

靖国通りを埋めつくすまばゆいネオン群に、渋谷のスクランブル交差点。そして、小さな飲食店がひしめきあう路地裏。

全編東京で撮影されたこの映画には、外国人の好奇心をくすぐる風景があふれている。私も外国人の案内に利用する、東京のおなじみの「観光名所」だ。

原語の映画では、日本人の会話に字幕はついていない。映画をみている人も、ボブやシャルロットと同じように、言葉のわからない世界に置きざりにされて、落ち着かない気持ちになるはずだ。

おかげで、この映画の公開後には、「東京は本当にあんな感じなのか」と、私はうんざりするほど聞かれた。

2.

魂は急速な移動ができないのでおいてきぼりになり、肉体が到着したあとで届くのを待たなくてはならない。紛失手荷物とおなじように。

同じ新宿のパークハイアットを根城として、物語の重要な一部が東京で展開するウィリアム・ギブスンの『パターン・レコグ二ション』によると、それがジェットラグだ。

まだ届かない魂と理解不能な日本人に悩まされて、ボブは日本での予定を早く切り上げることも考えた。

しかし、少しずつ、より大胆に、2人で東京の街を歩いてみるうちに、ボブとシャルロットは、米国からもちこんだ、それぞれの文脈から切り離されていく。

困惑続きだった東京は、意外と楽しめる街なのかもしれない。

米国に戻る前夜にボブが「帰りたくない」と言うのは、シャルロットへの淡い気持ちのためだけではないはずだ。

時間の経過とともに、ジェットラグは消える。違和感は持続しない。ようやくボブに魂が届いたようだ。

3.

ある著名な思想家と初めて会ったときのことだ。私の素養のなさを悟ったのだろう。少し間をおいてから、諭すように彼は話を始めた。

「カエルは目が見えないんだって」—。

カエルは目が見えないが、何かが動くときにだけ見えるのだという。エサとなる獲物が動くときに察知して、それを捕獲する。

そこからベイトソンやベルクソンへと、彼にしかできない話の転回が延々と続くのだが、それはおいておこう。

動くときにしか見えないものがある。

移動によって与えられたもうひとつの視線が重ねられるとき、そこに違和感が生まれる。「肉体と魂の移動速度のズレ」と、ギブスンなら言うだろう。

そうした「ズレ」が生じる瞬間に、その街は見える。それは、ほんの少しの間垣間みることしかできない。

4.

違和感は移動によって生じる。しかし、頻繁に移動を繰り返していると、違和感の強度は弱くなり、その持続する時間も短くなる。

長時間のフライトを頻繁に続けていると、ジェットラグにも慣れてくるのと同じだ。

どの街でも、最初に訪ねたときの印象が最も鮮烈なのは、そのためかもしれない。

ボブにとって、初めての日本滞在は困惑の連続だった。だが、2度3度と日本を訪れるにつれて、ずいぶんと慣れてくるに違いない。

迷いや不安はなくなるだろう。どうでもいい余計なことを考え始めることもない。あたかも自分の街にいるように、巨額がかかっている仕事にうちこむだけだ。

「ズレ」が閉じるときのことを、私たちは「新しい街に慣れる」と呼んでいる。その中に入ってしまうと、もうその街は見えない。

5.

『ロスト・イン・トランスレーション』は、一瞬の違和感が立ち消えるまでの映画だ。

「なにも起こらない映画」だと言われることも多いが、映画に特有の事件やドラマは、「ズレ」が閉じた後の街を舞台として起きるものだ。この映画は「ズレ」のなかに街そのものをみつめている。

映画の中で、最もいきいきとした存在感にあふれているのが、ボブやシャルロットではなく、東京の街であるのはそのためだ。

この映画を撮ったソフィア・コッポラが、東京を訪れるたびに通う飲み屋が、新宿ゴールデン街にある。映画狂の間ではよく知られた、数人で満席になる小さな飲み屋だ。

そこに立ち寄るたびに、撮影のために東京に滞在していた間、彼女自身がその飲み屋で「持続しない違和感」とどう戦っていたのかを、私は想像してしまう。

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