ニューヨークとアメリカの距離

初めてのニューヨークを緊張して歩く私に声をかける人がいた。

外国人観光客に話しかけたりするのは、物乞いか詐欺に決まっている。無視しよう。だが、どうやら道をたずねているようだ。

「自分はニューヨーカーに見えるのか」。すっかり気をよくして私は道を教えた。

数年後、ニューヨークに住むことになった私は気づいた。ここでは誰にでもすぐに話しかけるのだ。外国人だろうと関係ない。

外国人の街

「外国人が多いから、外国に来たような気がしない」。ニューヨークを訪れた外国人はそう言う。

ニューヨーク市の公式人口は約8百万人。その3分の1以上が、米国以外で生まれている(*)。ここは外国人の街だ。

ニューヨーク市の公共建設プロジェクトを担当することになったギリシャ人の友人は、打合せに集まった関係代表者が全員外国人だったと笑っていた。この街を文字通り「つくっている」のは外国人だ。

民族的にも多様だ。2010年の世論調査結果によると、ニューヨークの都心部では、黒人、ヒスパニック、アジア系が人口の半数を超え、(非ヒスパニック系の) 白人が少数派に転じた。

ニューヨークでは、「マイノリティー」が「マジョリティ」だ。

ニューヨークはアメリカではない

「今日はアメリカに行く」—。

マンハッタンに住む知人は、ニュージャージー州に行く日の朝そう言っていた。わずか数マイルのハドソン川を超えると、ニューヨークから最も近い「アメリカ」という国だ。

「ニューヨークはアメリカではない」。

昔からそう言われてきた。パリはフランス的な街だが、それと同じ意味で、ニューヨークがアメリカ的だとは決していえない。ニューヨークほど「非アメリカ的」な街はない。

ニューヨークが他のアメリカの都市と異なっているのは、何よりも、「アメリカとの距離」だ。

ニューヨークを利用するアメリカ

ニューヨークは「非アメリカ的」だけでなく、「反アメリカ的」でさえある。

2001年9月11日のテロ攻撃の数日後。パタキ元ニューヨーク州知事が、テレビのインタビューに興奮気味にこたえていたのを私は覚えている。

グラウンドゼロを視察する同元知事に、外国人風の男がかけ寄って、手伝えることがあればやるのでがんばってくれと繰り返す。

色が浅黒く、おそろしく強い訛りの英語を話すので、「どこから来たのか」と聞くと、「オレはニューヨーカーだ」と答えたという。保守派の同元知事だが、これこそがニューヨークだと感動したと語っていた。

しかし、対テロ戦争へと照準が定まるにつれて、こうした「リベラル」な発言は封じ込められた。同時に、テロの恐怖心を煽って、戦争に駆り立てようとする圧力が高まった。

アリゾナ州など、実質的にテロなど起こりそうにない地域の政治家が、テロの恐ろしさを繰り返し強調し、次なる攻撃を防ぐという理由で、先制攻撃の必要性を喧伝した。ニューヨークはアメリカに利用された。

多くのアラブ人が住む、ニューヨーク市ブルックリンのアトランティック通りでは、「私たちはテロリストではない」とアラブ人たちがデモ行進したが、メディアは黙殺した。

テロ攻撃の余韻が残る陰鬱な秋の日々には、あちこちで対テロ戦争に反対する集会や、米国の外交政策について議論する集まりがあった。大学などの教育機関、アート団体、草の根の団体が組織した。

対テロ戦争に最も反対した地域のひとつは、攻撃を受けたニューヨークだ。

テロの目的は、怖がらせることにある。ニューヨークは、2001年以前にもテロ攻撃を受けてきた。そして、これからもテロの脅威と背中合わせに生きていく。

それが、ニューヨークが「強い」ということであり、「テロに負けない」ということだ。

「アメリカを信じている」

グラウンドゼロからのなにかが焼けるいやな匂いが消えない頃、私は、大学院時代の同僚と長い話をしたことがある。なぜアメリカが憎まれなければならないのか、と彼は聞いてきた。

西海岸で生まれ育ち、高等教育を受けた良心的なアメリカ人の彼は、この国が世界中でどう受け止められていることを知らなかったし、信じようともしなかった。

数時間の会話の後に彼が行き着いたのは、「アメリカはよりよい世界のために働いている。自分はこの国を信じている」という言葉だった。

アメリカは自由の国だという。その一方で、これほど徹底的に管理され、「よくできた国民」もそうはない。アメリカ人以外にはすぐにわかることだ。

ワールドカップとワールドシリーズの違い

1980年代後半からニューヨークで暮らした、英国出身の歴史家トニー・ジャットは、「My Endless New York」と題する短いエッセイを残している。

ニューヨークは常に「外を向いている」。内向きな世界観に耐えられない人たちが集まる街だと、ジャットは指摘する。あらゆる意味で、「端 (エッジ) 」に位置しているのがニューヨークだ。

その対極はアメリカだ。アメリカでは、大リーグの優勝チーム決定戦を「ワールドシリーズ」と呼ぶ。

ドイツ人の同僚は、サッカーを知らないアメリカ人の同僚に、ワールドカップをこう説明していた。「ワールドカップは、ワールドシリーズと違って、本当にワールドな戦いなんだ…」。

2011年5月2日。オサマ・ビンラディンが殺害された。オバマ大統領は、世界はより安全になったと言った。彼がいう「世界」とは、ワールドシリーズの「ワールド」だ。

2001年のテロ攻撃からもうすぐ10年。10周年を前にして、ビンラディンの殺害が伝わると、ニューヨークでも、多くの人が「USA」と叫び、歓喜したと伝えられている。

「歴史的瞬間」は、「アメリカの勝利」と報じられた。おそらくそれは正しい。それは「ニューヨークの勝利」ではない。

ジャットのエッセイは次のように結ばれている。

「私は偶然アメリカ人になった。しかし、私はニューヨーカーであることを選んだ。おそらく、私は常にニューヨーカーだったろう。」

(*) 2000年の世論調査結果にもとづく。同年のニューヨーク市の人口は8,008,278人。そのうち、米国外で生まれた人の数は2,871,032人。2010年の世論調査の詳細は、現時点 (2011年5月) ではまだ公表されていない。
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One Response to ニューヨークとアメリカの距離

  1. ys347 says:

    米国の作曲家であり作家でもあったポール・ボウルズは、インタビューの中で、「ニューヨークが米国ではないのはわかっているけれど、私の米国のイメージはといえばニューヨークなのです。(I know that New York isn’t America; still, my image of America is New York.)」と話しています。

    Paul Bowles, The Art of Fiction No. 67 (The Paris Review)
    http://www.theparisreview.org/interviews/3208/the-art-of-fiction-no-67-paul-bowles

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