ニューヨークからニューヨーカーが消える日

深夜にバーで飲んでいると、酔った男が入ってきて隣に座った。

どちらからともなく始まった会話で、男の出身を聞いてみたときのことだ。男はことさら声を大きくして、「オレはここで生まれ育ったんだ」と言った。

そして、「ニューヨークのことをこんな風に言うヤツはもういないだろう」と前置きしてから、「Noo Yawk」と言ってみせた。

ニューヨークのアクセントは労働者のもの

ニューヨークには、特有のアクセント (訛り) があった。最も顕著なのは、「r」を無視することだ。たとえば、

「water」は「watta」

「doctor」は「docta」

と発音する。「th」は「t」や「d」に近い音になり、「-ing」の「g」は発音しない。

ニューヨーカーが「ニューヨーク」と言うと、決して「New York」とは聞こえず、「Noo Yawk」と響いたのだ。

話し方も特徴的だ。早口に加えて、威圧的なトーンでたたみかける。ニューヨーカーは言葉ではなく、その話しぶりで伝えるとも言われるように、身振り手振りのアクションが激しい。

路上での口論など見かける機会があれば、よく観察してみるといい。下手なコメディを見るよりもよっぽど面白いはずだ。

「社会言語学」の父、ペンシルベニア大学教授のウィリアム・ラボフは、ニューヨークのアクセントを研究した『The Social Stratification of English in New York』において、アクセントが社会的な階層により規定されているという説を提示した。

1962年に、ラボフは後に有名になる調査を行った。ニューヨークの百貨店で客になりすまして、従業員に「r」を含む言葉を含む返答を引き出す質問をし、そのアクセントの分布を分析したのだ。

サックス・フィフス・アベニュー (高級店)、メイシーズ (中級店)、クライン (現在は存在しないローエンドの小売店) でそれぞれサンプル調査した結果、「r」の音はサックス・フィフス・アベニューで最も発音されており、クラインでは「r」がしばしば無視されていることを発見した。

特有のアクセントは、高級店になるほど聞かれなくなるというわけだ。ニューヨークのアクセントとして知られているのは、労働者のものだったのだ。

狼たちの午後』 (1975年)、『タクシードライバー』 (1973年)、『ミーン・ストリート』 (1973年) など、ニューヨークの強いアクセントにあふれかえる映画が、厳しい環境におかれた者を描いていたのは偶然ではない。

労働者の減少と消滅するアクセント

そのニューヨークのアクセントを耳にすることが、近年きわめて少なくなってきている。

一握りの「超富裕層」と圧倒的多数の「超低所得者」への二極化が加速するニューヨークでは、労働者や中産階級が生計を立てていくことがどんどん難しくなっている。

1970年代から推進された脱工業化がこの傾向を推し進めた。製造業の雇用は失われ、ニューヨークは、金融や会計、メディア、広告などを中心とする「プロフェッショナル」の街へと生まれ変わった。そうした企業は、地球の反対側からでも人材を引き抜いてくる。

同時に、生活費の負担が重くのしかかる。とくに家賃の高騰ぶりは落ち着く兆しがない。

マンハッタンの住居価格は、1999年から2006年までの期間だけで200%を超えて上昇した。労働者にとって、住居購入は夢のまた夢だが、賃貸も高いときている。ニューヨーカーが払う家賃の平均額は2800ドル、30%近くの市民が収入の半分を家賃につぎ込んでいるありさまだ。

「ニューヨークの本物のアクセントを聞きたければ、ニュージャージーやコネチカットに行け。」そう聞いたことがある。そうした地域には、ニューヨークを後にした「本物のニューヨーカー」が多く住んでいると言われる。

そして、近年では、「ミューチュアル・ファンド・ベイビー」と呼ばれる富裕層の子息が、他地域からニューヨークに移り住んでいるとも言われる。

ニューヨーク市の人口は、2001年の同時多発テロの後でさえ減少することはなく、着実に増加を続けている。だが、その人口構成は急速に変化しているのだ。

こうして、「Noo Yawk」は「New York」になった。

もちろん、ニューヨークのアクセントが完全に消滅してしまったわけではない。誇り高く、独自のアイデンティティを誇示することを忘れないブルックリンの住民は、「ブルックリニーズ (ブルックリン語)」と呼ばれる独特のアクセントを、現在でも比較的保持している。

「ブルックリンの連中は、わざわざ練習してあんな風にしゃべってるらしいぜ」。マンハッタンで生まれ育った友人は、半ば嘲笑するように言う。

消え行くアクセントを保存しようとする組織的な動きもある。「If These Knishes Could Talk」は、ニューヨークのアクセントで話す人達をドキュメンタリー映画として残す試みだ。人々が日常的に話す言葉が保存の対象になるのは、皮肉な話ではある。

「変わってしまった」街と「変わり続ける」街

「ニューヨークは変わってしまった」—。誰もがそう言う。それは事実だ。だが、忘れてはならないのは、変わり続けるのがニューヨークであるということだ。

ニューヨークを規定する特徴の一つは「変化」だ。この街は常に変化し、同じ状態を維持することはない。どんなに良い状態であったとしても、特定の状態に固定すれば、もはやニューヨークではないのだ。

ニューヨークは変わった。そして、これからも変わり続けなければならない。問題は変化することではない。変化の仕方が問題なのだ。

2003年、ブルームバーグ・ニューヨーク市長は、同市を「贅沢品」にたとえて大きな議論を呼んだ。

この街で生きていくのに必要なコストの大きさを考えると、ニューヨーク市は間違いなく贅沢品だ。マンハッタンは全米で最も物価の高い地域であり、その生活費は米国平均の倍にも達する。

同市長が猛烈な批判を浴びたのは、ニューヨークが贅沢品に「なってしまった」のではなく、ラグジュアリー・ブランドよろしく、「ラグジュアリー・シティ」を「目指す」旨の発言をしたためだ。

同市長のような億万長者なら「ラグジュアリー・シティ」でもいいのだろうが、一般市民にとっては、さっさと出て行けと言われたようなものだ。

この街から「本物のニューヨーカー」が消えてしまう日も、いよいよ遠くないのかもしれない。

「生きてていいことないぜ」。

翌週50歳の誕生日を迎えるというバーで隣に座ったその男は、この街がどんどん住みづらくなることを何度も強調した。

結婚を機にニュージャージーに住んだこともあるが、すぐにニューヨークに戻ってきたという。「あんなところに住めるか、オレはニューヨークで生まれ育ったんだ」。その後離婚して、現在は先の見えない生活を暮らしている。

ひとしきり不満をぶちまけたあげく、もう帰ると言うので、どこに住んでいるのか聞いてみた。バーの天井を指差して「この上だよ」と言う。ダウンタウンの中心に位置するバーである。

間違いなく、彼は今や数少ない「本物のニューヨーカー」の一人だ。

Advertisements
This entry was posted in ニューヨーク, パターン, 都市, 言語 and tagged , , , , , , , , , , , , , , , , , , . Bookmark the permalink.

5 Responses to ニューヨークからニューヨーカーが消える日

  1. ys347 says:

    2011年8月12日付の記事で、ウォールストリートジャーナル紙は、ニューヨークのアクセントについての映画を紹介している。

    http://online.wsj.com/article/SB10001424053111903918104576502373235185388.html?mod=WSJ_NY_MIDDLELEADNewsCollection

    映画『If These Knishes Could Talk』が完成し、8月20日から上映されることになったようだ。

    日本人にはわかりづらいと判断したのか、日本語版の記事では、ニューヨークの様々なアクセントについての興味深い指摘をほとんど落としてしまっているが、英語の記事では、様々な背景のニューヨーカーがそれぞれの解釈を述べていて面白い。

    http://jp.wsj.com/Life-Style/node_289858

    ところで、『If These Knishes Could Talk』は、不特定多数の人から募金を集めるニューヨークのスタートアップ、キックスターターのプラットフォームで映画製作の資金を調達した。

  2. Pingback: ニューヨークはどのようにして甦ったか | Follow the accident. Fear the set plan.

  3. Pingback: ニューヨークはディズニーランドじゃない | Follow the accident. Fear the set plan.

  4. Pingback: ニューヨークはディズニーランドじゃない | Follow the accident. Fear the set plan.

  5. Pingback: ニューヨークはどのようにして甦ったか | Follow the accident. Fear the set plan.

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s