ニューヨークはもはやアーチストの街ではない

1967年7月—。一文無しでニュージャージーからニューヨークにたどり着いた20才のパティ・スミスは、後に写真家となるロバート・メイプルソープと出会い、家賃80ドルのブルックリンの部屋に2人で移り住む。

その後、マンハッタンの23丁目に生活拠点を移した2人は、互いに刺激し合いながらアーチストとしての歩みを本格的に踏み出し始めるものの、メイプルソープが同性愛者になったことで、2人の関係は再考を迫られる。

Horses』(1975年)のアルバムジャケットなど、2人のコラボレーションはあまりにも有名だ。後年、スミスは別の男性と結婚するが、1989年にメイプルソープがエイズで亡くなるまで、2人のパートナーシップは続く。

荒廃する街に生まれるアーチストたち

今年刊行されたスミスの『Just Kids』が、全米図書賞を受賞した。スミスとメイプルソープの関係をつづった同書は、舞台となる当時のニューヨークの特異な環境を描き出している。

アーチストにとって、ニューヨークの最も良い時代は1970年代だったと多くの者が言う。ろくに仕事はないが、家賃が安く、時間だけはたっぷりとあった。思うままに制作活動に没頭することができたのだ。

スミスやメイプルソープにかぎらず、後に有名になる数多くのアーチストがこの時代に活動を始めている。

しかし、街の状態は決して良くなかった。むしろ、当時のニューヨークは「都市の荒廃」の代表例だった。

「ニューヨークのどこがすごいの?死に行く街じゃない。」

映画『アニー・ホール』(1977年)の中で、西海岸に引っ越すアニー(ダイアン・キートン)が、アルヴィー(ウディ・アレン)に放つ言葉だ。

ニューヨークは死に行く街だった。高い失業率と犯罪率に加え、財政は破綻し、そのため公共サービスも麻痺していた。スミスとメイプルソープがともに過ごした23丁目界隈は、強盗、殺人、売春婦、麻薬常用者があふれていたのだ。

偶発的な出会い

荒廃する都市で、スミスやメイプルソープはどのようにしてアーチストとして知られるようになっっていったのか。スミスがニューヨークに着いたとき、彼女には、カネも友人も、何もなかった。

スミスとメイプルソープは、23丁目のチェルシー・ホテルで生活していた。実に多彩な客が住んでいたそのホテル(当時のチェルシー・ホテルは長期滞在が可能だった)や、その一階にあるレストラン「エル・キホーテ」で、彼らは多くの人々に出くわすことになる。

今や伝説として語られるのを聞くしかない、18丁目のナイトクラブ「マックス・カンザスシティ」でも、多くの人と交流することになり、スミスは、あたかも手をひかれるようにアーチストとしての活動を始める。

友人を介して、メイプルソープは、アートコレクターであり、後にパトロンであり恋人となるサム・ワグスタッフと出会うことになる。ワグスタッフは、メイプルソープに、アート界のコネクションや仕事場となるロフトを与えた。

有名人、自称アーチスト、大富豪、麻薬常用者—。当時のチェルシーやダウンタウンには、こうしたありとあらゆる類の人々がランダムに行き交っていた。そこで生じる「出会い」は、決して特定の目的や関心の下、組織されたものではない。われわれが今日「ネットワーキング」と呼んでいるものとは別のものだ。

偶発的な出会いは、ときに予想もできないような結果をもたらし、出会った者同士を、様々なレベルにおいて変えていく。

スミスによると、メイプルソープが人間的、芸術的に変化したのは、マンハッタンの23丁目だ。決してブルックリンではない。そこで、出会った人々、出来事が、メイプルソープを同性愛者にし、写真へと接近させることになった。

混沌とした場の力

当時のニューヨークには、「場の力」とでもいうべき特異な力があった。『Just Kids』が余すことなく伝えるのは、そうした力だ。それを「創発」と呼ぶ者もいるだろう。スミスやメイプルソープは、ニューヨークの産物だとさえ言える。

混沌としたニューヨークを懐かしむ声は現在でも耳にするが、それは必ずしも単なる懐古ではない。

エドマンド・ホワイトが2009年に発表した回想録『City Boy』も、同様のエピソードに満ちている。米国で最も官能的な文体をもつと言われるこのゲイの作家は、ハーバード大学の博士課程に入ることを認められるものの、恋人(男性)を追って、1962年にニューヨークにやって来た。

「誰もが昼まで寝ていた」という非生産的な1970年代のニューヨークで、彼は様々な人々と偶発的に交流を繰り返し、作家となっていく。

今やニューヨークは、米国内で最も安全な街の一つだ。その一方で、街は「管理」され、人々の出会いが「組織化」されるにつれて、偶発的な出会いが起こりづらくなっている。

ニューヨークはもうアーチストの街ではない

スミス自身、現在のニューヨークにかつてのような力があるとは考えていない。

今年の5月、クーパー・ユニオンで行われたセッションで、聴衆の一人が、スミスがそうしたように「若いアーチストが、今日、ニューヨークでやっていくことは可能だろうか」と質問した。

スミスはこう答えたという。「ニューヨークはもう、奮闘する若い人の街じゃない。ほかの街を見つけた方がいい。」(*)

『Just Kids』は、古き良きニューヨークを封印するために書かれたようにもみえる。

(*) “New York has closed itself off to the young and the struggling. But there are other cities. Detroit. Poughkeepsie… New York City has been taken away from you… So my advice is: Find a new city.”

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